正統主義神学の真の霊性とは何か
〈評者〉吉田 隆
「中世のスコラ学とは〝針の上で何人の天使が踊れるか〟を考える暇な学問のことだ。それに対して、宗教改革者たちは聖書に基づいて……」と、スコラ学を揶揄した時代は、過去となりつつある。今や中世スコラ学を知らずして宗教改革の神学を理解することはできないし、プロテスタント・スコラ(=正統主義)を知らずして現代神学を論じることもできないと言われる時代になった。思想の歴史は、連続と非連続を繰り返すからだ。
一七世紀改革派正統主義の専門家であり、新正統主義(バルト)的視点からのカルヴァンや正統主義神学理解を厳しく批判したリチャード・ムラー氏は、授業の中で「それにもかかわらず、正統主義神学についての最良の紹介書はバルトの『教会教義学』だ」と言われたことがあった。つまり、カール・バルトは正統主義神学に学びつつ、それを批判的・現代的に展開したのだと。
前置きが長くなったが、本書は、すでに当該分野についての最良の入門書であるファン・アッセルト『改革派正統主義の神学─スコラ的方法論と歴史的展開』(教文館、二〇一六年)を翻訳出版された青木氏自身による、一七世紀の代表的神学者トレティーニについての本格的研究書である。わが国にもついに正統主義神学を研究される方が現れたことを嬉しく思い、本書を心より歓迎したい。
本書は、スコラ主義とは何か(第一章)に始まり、トレティーニの生涯(第二章)、その神学的方法論(第三章)を述べた後で、彼の神論を詳細に検討し(第四章)、最後に今後の課題(第五章)を述べて終わっている。
教会における講義が元になっていることもあって、初学者のことを配慮した記述も多いのだが、何と言っても読者の忍耐が試されるのは、本文のほぼ半分を占める神論の叙述である。その難解さもさることながら、そもそもなぜこんなことを論じる必要があるのかと何度も立ち止まる。「これだからバルトが登場したのだ」と言いたくなる気持ちもわかる。
しかし、著者は言う。このようなトレティーニの論述には「神が啓示によってご自身を開示してくださる限りにおいて、神を知ろうとする姿勢があります……。その意味でトレティーニの神論は、神への愛が生み出した神論と言えるのではないかと思います」(一四〇頁)と。これこそが、正統主義神学の霊性である。
エキュメニカルかつ協調融和的な現代には、「正統/異端」という発想そのものが、そぐわないのかもしれない。事実、教理の学びが軽視されつつある。しかし、神の正しい教え(orthodoxy)によってこそ正しい実践(orthopraxy)は生み出される。〝聖霊の学校〟としての教会の現場で、究極の判断基準としての神の啓示をどのように理解し、また生きるのか。そこでは、いかなる形であれ、ある種の論理的思考訓練を避けることはできないであろう。
その意味で本書は、複雑極まりない現代を生きる私たちを、無神論でも思考停止を余儀なくする極端な信仰主義でもなく、啓示が指し示す「神ご自身の真の姿を仰ぎ見る営み」(一四九頁)へと招くチャレンジの書なのだ。
本書誕生の〝産婆〟的役割を果たしてくださった大森教会の尊いお働きにも感謝したい。
吉田隆
よしだ・たかし=神戸改革派神学校校長