《宮田光雄の時代》のよろこび
〈評者〉最上敏樹
筆者が初めて宮田光雄先生のお名前に接したのは『非武装国民抵抗の思想』(岩波新書)を通じてだった。大学に入学してまもない頃で、著者がどういう方なのかも知らず闇雲に読んだものである。ただ、本自体は実に明晰な筆致で日本の志操を説き、同時により広い世界観から堅い信念に立っていることを感じさせて、青年の心に颯爽と響きわたる深い旋律を残した。
その後、筆者が国際法学者になり別分野への道を歩んだこともあって、お目にかかる機会もないままに長い年月が過ぎた。初めてお目にかかったのは、なんと二〇〇七年になってからのことである。南原繁研究会で基調講演をなさった時だった。恩師の坂本義和先生が共同基調講演者として登壇された、珍しい設営である。坂本先生が「宮田君が君に会いたいと言っているから来なさい」とおっしゃるので、緊張して出かけていくと、坂本先生が宮田先生に「ほら、君の恋人の最上君だよ」と宮田先生をからかい、腰を抜かすほど驚いた。筆者のささやかな仕事を宮田先生が心に留めていてくださったものらしい。
一介の国際法学者にすぎないのに、なぜかよく宮田先生の御本の書評の依頼をされた。手許の記録で確認できるものだけでも、『国家と宗教』、『十字架とハーケンクロイツ』、『平和思想史研究』の三著がある。そういう仕事を与えられたおかげで、逆に宮田先生に導かれてよく勉強した。とりわけディートリヒ・ボンヘッファーとカール・バルトについて。だから筆者は、これまでのところ徹頭徹尾、宮田先生に私淑するだけの単なる一読者であり、門前の小僧である。
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書評をというご依頼だったのに、やや私的な回顧録まがいの文章で始めたのは、筆者自身が昨年、南原繁研究会で基調報告の機会を与えられ、南原先生このかた脈々と流れる知的なつながりをしみじみと感じたからである。若いころに幾人かの先生たちから注ぎ込まれた志操がそこにはよみがえっていた。そして人間の知的あるいは精神的なつながりは、大学の枠も超える。この『〈出会い〉の旅──わが師 わが友』には、そういう、多くの師と友に対する敬意があふれていたから、まずはそういうつながりの恩寵に触れずにはいられなくなったのである。
そのように、この本には実に多くの人々への懐かしみと慈しみに満ちた回顧が丁寧に記されている。多くがすでに他界された方たちだが、亡びしものは懐かしきかなという過去の美化としてでなく、その方たちに邂逅したことをどれほど大きな恵みであると宮田先生が考えておられたか、それが涼やかに伝わってくる回想なのだ。南原繁先生、丸山眞男先生、福田歓一先生、坂本義和先生、隅谷三喜男先生、安江良介さんなど、一時代を画した大先輩たち。まるで皆が一堂に会して一つの食卓を囲んでいるような感懐を覚える。
バルトや(章題には掲げられていないが)ボンヘッファーなど、重要な神学理論家の思想のエッセンスも簡潔かつ的確に紹介され、宮田先生がもたらした学問の新風が漂ってくる。これは、これからもまだ続く、《宮田光雄の時代》のすぐれた記録でもあるのだ。