ほんとうに本を読んでこなかった。じぶんで文を書くようになったいまでこそ、多少は読むようになったが、若い時分はまったく読まなかった。いや、読めなかった。書かれたテクストと、それが書かれているコンテクストを読みとり、他者を知ろうとする回路をわたしは持ち合わせていなかったのだろう。
今年の2月、酒好きが高じて67歳で亡くなった母・有住裕子は、若い頃から死ぬまで、本が好きだった。かつて住んでいた、うなぎの寝床のような家の一階はすべて本で埋め尽くされていた。引越しの際、大量の本と本棚が運び込まれる様子を見ていた近所の人は、古本屋ができるとよろこんだという。本は増殖しつづけ、家中のいたるところに山積みにされた。あれだけ家に本があるのに、手にとってページをひらくことは一度もなかった。当時のわたしにとって、本はじぶんと関係のないもの、邪魔なもの、たまに枕や足台にするものにすぎなかった。
大学入試の面接で、教員から「どんな本を読んでますか」と尋ねられた。読んでません、と応えるわけにもいかず、咄嗟にわたしにしてはめずらしくページをめくることができた本を思い出した。わたしの地元、大阪・釜ヶ崎に「旅路の里」というイエズス会の施設があり、路地に面した壁に図書貸出コーナーが設置されていた。その棚から一冊の小説を気まぐれに抜き出していたのだ。誰の、何という小説だったか忘れてしまったが、酒とドラッグと暴力に満ちた物語だったことを覚えている。そして、面接で教員に向かって得意満面にその小説の名を叫んだことも覚えている。
亡くなるまで生活をしていた母の部屋は、かつての家のように本であふれていた。ふと、原稿を書いている手を止めて目をあげると、じぶんの部屋がいつのまにか本であふれていることに気づく。あのときからすこしくらいは、他者を知り理解しようとする、そんな人にわたしはなれているだろうか。
(ありずみわたる=日本基督教団下落合教会牧師・農村伝道神学校兼任教師)
有住航
ありずみわたる=日本基督教団下落合教会牧師・農村伝道神学校兼任教師