随所に新鮮な出会いを与えてくれる新訳 〈評者〉小原克博
教義学要綱 ハンディ版
カール・バルト著
天野 有・宮田光雄訳
小B六判・366頁・本体2000円+ 税・新教出版社
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名著は繰り返し訳し直され、その時代にふさわしい新しい命を吹き込まれてきた。本書も、その一冊に数えられるべきものである。新訳刊行のいきさつを最初に記しておこう。バルトの訳書を多く手がけてこられた天野有氏が急逝された後、遺稿の中から完成に近い形で本書草稿が発見され、それに対し、宮田光雄氏が全面的な訳文見直しを行った末にできあがったのが本書である。二人の卓越した訳者のおかげで、バルトの肉声に近い《語り》が見事に再現されている。カール・バルトを「二十世紀最大のプロテスタント神学者」と呼ぶことに対しては、おそらくバルトに批判的な立場の人であっても同意せざるを得ないほどに、バルトは広範囲な影響を及ぼしてきた。とはいえ、時代は二一世紀。私の学生時代には、神学を学ぶことはバルトを読むことである、という雰囲気がまだ残っていたが、今、若い人に限らず、教会の信徒にとっても、難解な印象のあるバルトは近づきがたい存在のようだ。それだけに、今回の新訳は時宜に適ったものといえる。
本書の意義は大きく二つある。一つは、バルト神学の最適の入門書だということである。バルトの神学的思索のエッセンスが本書には詰め込まれている。本書は最初に一九五一年の井上良雄訳として刊行され、一九九三年に「新教セミナーブック」の第一冊目となり重版され、読み継がれてきた。井上訳は「である」調で硬質な論文のような体裁を取っているのに対し、新訳の本書は「ですます」調でオリジナルの講義の雰囲気を伝えている。
本書は、戦後間もない一九四六年、バルトがボン大学の夏学期に行った講義が元になっている。本書「はしがき」でバルトは「私は、生まれて初めて、厳密に書き起こした下書き原稿なしで講義をした」と記している。《読む》代わりに《語る》ことの必要性をバルト自身が感じたのである。バルトの《語り》に誘われて、読者はバルトの世界へと足を踏み入れることになる。
本書のもう一つの意義は、バルトへの関心の有無にかかわらず、私たちの信仰の基本を考え直すきっかけを多数与えてくれるということにある。本書は使徒信条に対する教義学的な講解となっている(全二四章)。キリスト教信仰の要点を凝縮した使徒信条は多くの教会で信仰告白として唱えられてきた。最初は難解に感じた文言も、繰り返し唱えている内に、わかったつもりになるものだ。そういう人にはぜひ本書を手に取って欲しい。バルトは、キリスト教信仰にとって決定的に重要なのは《出会い》であるという(二章)。《出会い》なしには信仰は惰性化するしかないだろう。本書は各章で私たちの思い込みを打ち砕き、新たな視界を開いてくれる。宮田氏が「訳書あとがき」において、最後の審判(二〇章)の講解を初めて読んだとき「目からうろこが落ちる」ような衝撃を受けたと記しているが、同じような感覚を私自身も持った。生ける者と死ねる者とを裁くイエスは、かつてご自身を神の裁きに捧げた方なのであり、それゆえイエスの再臨は《喜びの使信》なのである。このような新鮮な《出会い》が本書の随所で与えられる。バルトは教義学の主体は教会であり、それは聖書釈義と実践神学の間に置かれていると語る。本書が教会の中で読まれ語られ、実践への力となること願う。
小原克博
こはら・かつひろ=同志社大学神学部教授
- 2022年5月1日