視野の広さと神の慈愛深さを特長とする独自の霊性思想
〈評者〉阿部 仲麻呂
本書は、視野の広さと慈愛深さを特長とする独自の霊性思想の集大成であると同時に他者に対して一番伝えたいことを明確にまとめた啓蒙書でもある。プロテスタントのキリスト教理解を深めた著者は決して狭い枠に安住することなく、幅広くギリシア古代古典文藝の伝統や古代カトリシズムの沃野にも踏み込んで学びを洗練させた。その客観性と開かれた対話の精神はおそらくエラスムスの寛容さを学ぶことによって養われたのだろう。
アウグスティヌスからルターへ。その稀有な道行きをたどってキリスト教思想史の奥深さを正確に描くのが、この新たなシリーズ本である。もちろん著者は古代ギリシアから現代に至る哲学思想史の流れをすべて踏まえたうえでヨーロッパ文化の根底に潜む霊性の価値をえぐり出そうと試みている。その際の中核的な基軸がアウグスティヌスからルターへと至る人間の心の叫びなのである。人間の生き方を問う仕儀が心の在り様の描写に結びつく。
著者の『ヨーロッパの思想文化』(教文館1999年)において、すでに「霊性」の重要性が強調されていた。評者は2006年にオリエンス宗教研究所の『福音宣教』誌上で「感性論」に関する連載記事を執筆したが、その際に著者の本から多大なる影響を受けた。たしかに金子は最近の本でも以下のように述べている。「ヨーロッパ思想史と人間学がわたしの研究分野であって、青年時代から「理性」や「感性」と並んで「霊性=信仰」に関心を寄せてきましたので……」(『わたしたちの信仰─その育成をめざして』ヨベル、2020年、233頁)。
本書の内容は全11項目から成る(中世ヨーロッパ社会の形成、エリウゲナの『自然の区分』、アンセルムスと「理解を求める信仰」、ベルナールの神秘主義、女性神秘家の特質、聖フランチェスコとボナヴェントゥラ、トマス・アクィナスの神学体系、ヨーロッパ的な愛とダンテ、ドイツ神秘主義の系譜、新しい敬虔の運動、オッカム主義の伝統とその破綻)。そして、各項のあいまに11の「談話室」が配されている(ピレンヌ、騎士道、神の存在証明、観想と活動、ベギン運動、修道院文化、ボナヴェントゥラとトマス、霊性の詩人、エックハルト、ジェルソン、パラダイムの転換)。神を求めて心を整える人間の姿の歴史的経緯を明快に整理して平易に叙述する著者の手腕は熟達した原典研究に根差す。
ところでローマ・カトリック教会の教皇聖ヨハネ・パウロ2世はアジアの霊性を価値あるものとして理解した。「アジアは霊的なものを重んじ、深い宗教感覚を生得的に備えている地域です。このアジアの価値ある霊的遺産を人類に共通するものとして大切にしなければなりません」(Jordan Aumann, Asian Religious Traditions and Christianity, The Faculty of Theology University of Santo Tomas, Manila, 1983, p.244.)この文章からもわかるように、アジア地域において「霊性」が先天的に内在することが強調される。「霊性」とは、人間が自分の存在根拠に向かうことである。キリスト教的に言えば、誰にでも生まれつき備わっている神に向かって開かれゆく性質のことである。ローマ・カトリック教会は、キリスト教以外の諸宗教の奥底に誠実で価値のある霊性が息づくことを認めた。そして諸宗教の内なる真実と善さを受け容れ、彼らに触発されて、キリストの真実に磨きをかけ、救いが成就することを望む。金子の諸著作にも同様の望みがみなぎる。彼は日本における霊性的な深みの次元で生きつつもキリストの道の歴史的な展開を理解するために特にヨーロッパに焦点を定めた。徒に西洋に埋没することなく、アジアの生活文化を背景にした霊性的次元に根差して西洋思想史を眺め直すという、意欲的で新鮮な試みは世界的に見ても稀有で先駆的な業績である。
キリスト教思想史の諸時代Ⅲ
ヨーロッパ中世の思想家たち
金子 晴勇 著
新書・272頁・定価1320円・ヨベル
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阿部仲麻呂
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