二人のキリスト者詩人
〈評者〉木下裕也
石原吉郎と安西均。戦後日本におけるキリスト者詩人の双璧である。本書は二人の詩人の比較研究の成果である。両者はキリスト者であること、戦時下の厳しい時代に自らの意思で洗礼を受けたことにおいて共通するが、詩作品の趣は当然異なる。本書は「生と死、戦争と平和、聖書と信仰、ユーモア、日本的なるもの、表現性と物語性」など、多岐にわたる主題を取り上げ、各主題に見合う両者の作品を提示しつつ、その一編一編を精緻な、行き届いた読み解きによって掘り下げていく。著者の作業は「あくまでも詩そのものに肉薄して解釈し、詩の奥義に迫」る姿勢につらぬかれている。「詩人論よりも作品論に軸足を置くということ」である。
著者は石原を「表現する詩人」、安西を「物語る詩人」と称し、作品を通して二人の個性を浮き彫りにしながら、そのように呼び得ることの意味を説き明かす。他方、両者は詩の言葉の深さ、重み、生々しさ、凄みにおいて軌を一にする。それは人間の極限状況の言語化とも言い得る言葉であり、切り詰められたしかたで生と死の深層に迫っていく言葉であり、この世と人間の闇の奥底をえぐる冷徹な言葉であり、そうでありつつ、闇の支配に震える魂に寄り添い、闇をうがつ光と望みとを手繰り寄せようとする言葉である。二人の詩人の生死の捉え方は似通っているとされる。「感傷的・感情的なものは打ち捨てられ、言葉と表現が乾いている」ことにおいてである。あわせて「生者と死者の立ち位置が逆転する不思議さ」にも言及される。生と死とが逆説的にとらえられていること、そこに価値の転換が起こされているとの消息が指摘されるのである。このあたりに、両者がキリスト者詩人であることの機微を見て取ることができるのではないだろうか。
本書には両者による対談も収められている。石原の死去の二週間前になされた対談である。両者にとって「最初にして最後のもの」「二人にとっても読者の私たちにとっても、『恩寵』のように訪れてきた極めて稀有な機会になった」とされるものである。キリスト教詩とは何か、詩と信仰、詩の言葉と聖書の言葉とはどのように切り結ぶのか等の問いをめぐって率直な議論がかわされており、興味深い。語らいの内容を簡潔にまとめた後、著者は自身の意見を添える。二人とも「神や信仰に寄り添ったと思わせる詩ではなく、外見上は呪いや反信仰に見える詩にこそ深い意味を見出している」というのが著者の見立てである。
「詩人にとって不変のテーマは、それがどのような形をとるにしても、生と死、永遠なる者への帰依と背反を含んではいないであろうか」と著者は言う。そうであるとすれば、この「不変のテーマ」を真に追い求めていくことができるのはキリスト者詩人ではないだろうか。キリスト者詩人にしかなし得ない仕事があるのではないだろうか。この世と人間の言葉を超えた、神の言葉に根ざしつつ言葉を紡ぐ者であるゆえに。キリストにある真理と命とを知らされている者であるゆえに。著者自身も信仰者として生と死の真相を正面から見据えつつ、聖書と文学の双方においてたゆまざる研鑽を重ねて来られた方である。詩の言葉の迫力に満ちた、渾身の一冊を書き上げられた。心からの敬意を表したい。













