愉しき知恵に満ちた旧約註解
〈評者〉竹内 裕
本書はVTJ(Vetus Testamentum Japonicum)旧約聖書注解シリーズの一書を成し、表題の示す通り、サムエル記上巻の後半部分(16~31章)、すなわちサムエルによるダビデの塗油からサウルの死まで、を翻訳、分析、考察するものである。
サムエル記は一つの古代王国成立の顚末を記述するものだが、一読すれば分かるように、多くの生き生きとしたエピソードを収め、読者の心はときに踊り、ときに胸が締めつけられ、歴史書という乾いた呼称で言い表すには似つかわしくない。戦闘、逃亡、術策が繰り返されるなかで、若者の友情、老いゆく者の焦燥、嫉妬、寛大さ、義侠心、忠義、裏切り、怯え、猜疑、絶望、錯乱など、人の心の多様な襞を示す物語に溢れ、聖書を紐解く者に格別な楽しみと洞察を与えてきた。
この物語の森をたしかな足取りで自ら歩み、その豊かな緑の陰影へと誘う案内人として、著者の勝村氏以上にふさわしい学究かつ文章家がいるだろうか。
繊細な言語感覚によって選び取られた訳語、紙背に徹する眼差しの鋭さと確かさ、本文校訂や釈義における古今の資料への目配り、諸説の吟味に際しての冷徹で抑制の効いた判断。そうしたいわば職人仕事の腕の冴えにまず唸らされる。堅固で学的良心に貫かれた記述を読み進み、汗牛充棟の聖書学において数節の釈義に要する時間と思索の膨大さを想いつつ、これだけの良質の註解を書き通す偉業に書評子は感嘆するばかりである。
本註解シリーズのうちにあって本書が際立つのは、狭義の聖書学の枠を超えた洞察と議論の充実だろう。それはとりわけ、単元が示唆する主題を広く文化史的な文脈あるいは現代社会において切実な問いと交錯させて展開する「解説/考察」部分や「トピック」の随所に見られる。これがじつに自由闊達で、愉しく、面白い。
王国成立の社会背景を説くにあたって地理や経済や農学等における蓄積を緻密に検討することは必須であるとしても、鉄槍の重さを吟味する際に陸上競技の知識と経験が動員され、慈愛(へセド)の語義を洞察するときに相撲部屋の人間関係が参照され、嘘つき話の考察に「かちかち山」の民話からナチスへの抵抗運動の倫理学、アビガイルの贈り物に関しては社会学者モースの贈与論、サウルが頼る霊媒についての考察ではイタコについて記す詩人の言葉を、ゴルヤトを倒すダビデについてチャップリンの映画やミケランジェロのダビデ像を引き合いに出し、竪琴(キンノール)の形や響きについて語る際には宮沢賢治を引きつつ著者自身の音楽への造詣までもが活かされている。
こうした豊かな参照項は勝村氏が優れた人文学的学究であると同時に、文学と音楽と思想と共同体と生き物への尽きない愛情を湛えながら人生を味わい尽くす温かい人、つまり二重の意味でのヒューマニストであることをありありと示すものであると私は思う。氏の聖書学には生活と芸術があり、ひいては生き生きとした身体があると言えるのかもしれない。
かくも均衡が取れて堅実であり、通読味読に耐える愉しき知恵に満ちた註解書が日本語で刊行されることを心より寿ぎたい。













