無神論的風潮が漂う現代において、改めて神について語る
〈評者〉菊地 順

世界の神秘としての神
有神論と無神論の論争における、十字架にかけられたお方の神学の基礎付けのために
E・ユンゲル著
佐々木勝彦訳
A5判・736頁・定価14080円・教文館
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この度、佐々木勝彦氏の訳によってエーバハルト・ユンゲルの主著『世界の神秘としての神』が出版された。これは、昨年出版された同氏の訳による『義認の福音─ ─エキュメニズムを目指す神学的研究』(教文館)に続くもので、ユンゲル神学の全体像を開示する重要な著書である。本書は、無神論的風潮が漂う現代において、改めて神について語ろうとした力作である。
その内容は、その題名が示すように世界の神秘としての神を論じたものであるが、その神秘としての神とは、副題にあるように、十字架につけられたお方、イエス・キリストに顕現した三位一体の神であり、その神とは、何よりも「愛」なる神なのである。したがって、本書の内容的中心は、この愛なる神にあると言えるが、しかし、本書は、以下に示す五部構造からも明らかなように、神の認識・表現の問題についての議論が重要な位置を持っている。すなわち、(A)序論、(B)「近代の神思想のアポリアの表現としての神の死についての発言」、(C)「神の思考可能性について」、(D)「神の表現可能性について」、(E)「神の人間性について」の五部である。というのも、ユンゲルは、無神論的な時代において神について語ろうとする場合、それは、そこに生じるアポリアをめぐって、「有神論と無神論との論争の中で」(二九頁)論及されるべきと考えるからである。
まず、本書でユンゲルが取る方法は、一言で言えば、「内側から外側へ」、「キリスト教の特殊な信仰経験から普遍妥当性を要求する神概念へ」、つまり「神の自己伝達の神経験に通じる出来事に基づいて、神と人間を考え、キリスト教の真理の普遍妥当性をその内側からのみ、真理として証明する道」である(四頁)。というのも、神の理解は、人間の意識にではなく、神の自由な出来事に基づくからなのである。
すなわち、ユンゲルは、現代の無神論的思考の背景に見られる近代以降の形而上学的な神理解を、キリスト教にとって非本来的な理解として退け、何よりも神を「人間イエスにおいてご自身を伝達するお方」(四二頁)として捉え、したがって十字架につられた「イエスにおいて啓示された人間性からこの神性を理解しなければならない」(四三頁)とする。というのも、世界の神秘としての神は、何よりも「到来する」神であり、「神の存在は到来のうちにある」(五四二頁)からなのである。そして、その到来自体が「愛」の出来事なのである。なぜなら、「神は神[イエス]へ到来する」のであり、それは、「父なる神が子を愛することにより、この神的自己愛の出来事において、神はすでに無私的に神の被造物を目指しておられる」(五四九頁)からなのである。そのため、「『神は愛である』という句の完全な理解は─ ─神がその主体存在を三一論的に遂行する神の子の存在の歴史から初めて可能になる」(四五二頁)とも語るのである。
無神論的風潮が漂う現代において、本書は信仰者にとっての慰めの書とも言えよう。佐々木氏は、「訳者あとがき」の最後で、ユンゲルの説教集から、ユンゲルが語っている愛についての言葉を複数紹介しているが、それは本訳書を結ぶ上で大変ふさわしいことと思う。












