生きる希望をやさしく力強く語りかける
〈評者〉沢 知恵
「おじませいし」と読みます。「こじませいじ」ではありません。まちがえずに読めるようになるまで、私は少しかかりました。一筋縄ではいかない牧師らしいお名前と思います。
一九四〇年生まれで、四国にある日本基督教団のおもに四つの教会につかえ、二〇二五年三月に隠退されました。教団の総会議長を三期つとめたご経験もお持ちです。他の教派では「隠退」ではなく「引退」というようです。小島誠志さんは、責任ある教会の牧者としての役割から引きましたが、隠れる気配はなく、いまも精力的に各地で神さまのみことばを語っていらっしゃいます。この本は、そんな節目に発行された集大成ともいえる説教集です。
小難しいことはいっさいなし。「まえがき」に「わかりやすい説教を心がけています」とあるように、ことばがほんとうにわかりやすい。誤解をおそれずにいえば、お寺の住職の説法のような親しみをおぼえます。わかりやすく親しみやすいけれど、軽くはありません。語られた説教がそのまま文章になっていることもあり、ひとつひとつのメッセージが力強く、ずっしりと心に響きます。
取り上げている聖書の箇所がいい。旧約聖書は創世記、出エジプト記、ヨブ記、ヨナ書から、新約聖書は福音書を中心に、キリスト教入門編ともいえる内容です。通底しているのは、信仰とは何かということ、そして、苦難の多い人生をいかに生きるのかということです。
すべてを失ったヨブに重ね合わせて、私たちは歳を重ねながら、「何かを失うことによって何かを得ていく」「失わなければわからないことが、次第にわかってくる」といいます。
「荷物を背負って生きているということが無駄になることは決してありません」。意味のわからない労苦でも、イエスが婚宴で水をぶどう酒に変えたように、思いがけないことが起きるのが人生であると。
隠退なさる旨のハガキをいただいて、私はすぐさま電話をかけました。「先生、もう大島には来てくれないということですか?」香川県の高松港から船で二十分のところにあるハンセン病療養所、大島青松園の教会、霊交会に、年に一回説教に来てくださっていたのが、もうおしまいになると思ったのです。「いやいや、それは別」との即答をきいて安心しました。若いときに家族で通った療養所に、老牧師は、生涯の牧会をともにしたお連れ合いの百合子さんを伴い、腰に手ぬぐいを下げ、カバンにハーモニカを携えて来てくださいます。終わりゆく療養所の教会で二度涙された理由は、この本を読んでよくわかりました。
「信仰者にとって苦難というのは、いつも希望への入り口なんですね。行き詰まりと思った苦難が、主と共に歩む時に思いがけない形で希望への入り口になる」。
私はこの本を、キリスト教について素朴な疑問でいっぱいの求道者の友人にプレゼントするつもりです。友人は戸惑うでしょう。一章に「アブラム」が、二章に「アブラハム」が出てきます。同じ人? 説明が付されていないのは不親切? いいえ。自分で聖書を開いて確かめてごらんなさい、という導きに他なりません。まいりました。














