トランプ大統領による「アメリカ・ファースト」が世界に分断と差別をもたらしています。世界を支配した超大国の地位から経済的に転落する危機感から、政治経済的にも軍事的にも支配力を維持しようとして掲げたスローガンです。「力こそ正義」という信念が異様に肥大化していきます。
アメリカは白人中心主義による黒人差別が根強く、人種民族の分断が激しい社会です。アメリカ・ファーストは「アメリカ」をまとめるように見えて、実際は「白人ファースト、黒人セカンド、移民ラスト」の枠組みを固定化させます。多様性が否定され、「黒人の命も大事」と唱えたブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動は攻撃対象となります。LGBT等のマイノリティも否認されます。白人主導の偉大なアメリカが喧伝されます。
「日本人ファースト」はアメリカ・ファーストの借用ですが、新しい現象ではなく、大日本帝国以来、日本はずっと日本人ファーストでした。大東亜共栄圏の柱となった「五族協和」とは、「大東亜の盟主=日本」によるアジア支配でした。
大東亜共栄圏の妄想が崩壊した後、日本国憲法が平和主義や民主主義や基本的人権という「普遍的価値」を掲げました。しかし同時に、象徴天皇制や「国民主権」といった日本主義が大前提とされました。その下で、外国人登録法による朝鮮人差別と外国人排斥は続き、ずっと日本人ファーストでした。
今あらためて日本人ファーストが人々を鼓舞しているのは、アメリカと同様に日本も転落の危機にあえいでいるからです。かつて世界第二位を誇った経済力は二〇位以下に低迷しています。「失われた一〇年」から「失われた三〇年」への没落帝国で物価高と低賃金が人々の不満を募らせています。
明治維新以来一〇〇年以上右肩上がりだった人口は、高度経済成長期に急増しました。ところが二〇〇〇年代から減少に転じ、その度合いが著しく進行しています。人類史上例のない「爆縮」とまで言われています。一億三〇〇〇万人だった人口が二〇五〇年には八〇〇〇万人に激減するとの予測に誰もが怯えています。
日本人ファーストは新しい現象を装っています。しかし、実態は政治的にも経済的にも軍事的にもアメリカに追随し、付き従うだけです。「アメリカ・ファースト、日本セカンド、それ以外の諸国ラスト」という階層秩序が固定されます。これは「脱亜入欧・脱亜入米」の焼き直しにすぎません。過去の植民地主義や人種民族差別の歴史を反省しないまま、新たに民族排外主義に火がついているので、非常に深刻です。
この現象を理解するためには、第一に植民地主義と人種民族差別(奴隷制、アパルトヘイト、欧米中心主義)の世界的動向、第二に日本植民地主義の歴史(大日本帝国の戦争と植民地支配、日本国憲法の日本主義)、第三に現在の日本の民族排外主義の要因を踏まえて、目の前の差別やヘイト・スピーチを見ていく必要があります。
植民地主義や人種民族差別については、非常に重要な著作が膨大にあります。三冊を選ぶのは至難の業です。日本における植民地主義の暴力性についても批判的研究は多数あります。
①平野千果子『人種主義の歴史』
第一に、植民地主義と人種民族差別の世界的動向を明快に論じているのが、①平野千果子『人種主義の歴史』(岩波新書、二〇二二年)です。ヘイト・クライムやヘイト・スピーチをはじめとする現代の差別の根底には、ナショナリズム、植民地主義、反ユダヤ主義等と結びついた人種主義(レイシズム)があり、世界に計りしれぬ惨禍をもたらしました。大航海時代から今日に至るまで、そのイデオロギーと実態を世界史的視座から説く入門書です。
植民地主義や人種主義に関連する古典として、フランツ・ファノン『地に呪われたる者』(みすず書房、一九六九年)、『黒い皮膚・白い仮面』(みすず書房、一九七〇年)、海老坂武『フランツ・ファノン』(みすず書房、二〇〇六年)、サルトル『植民地の問題』(人文書院、二〇〇〇年)、ジョージ・フレドリクソン『人種主義の歴史』(みすず書房、二〇〇九年)など必読書がたくさんあります。
近年の重要文献としては、オレリア・ミシェル『黒人と白人の世界史─「人種」はいかにつくられてきたか』(明石書店、二〇二一年)、ロビン・ディアンジェロ『ホワイト・フラジリティ─私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?』(明石書店、二〇二一年)も注目されます。
②徐京植『植民地主義の暴力─「ことばの檻」から』
第二に、日本植民地主義の歴史について、大日本帝国による植民地支配と、植民地主義の反省がない日本の現在を分析してきたのは在日朝鮮人の知識人たちです。②徐京植『植民地主義の暴力─「ことばの檻」から』(高文研、二〇一〇年)は、戦争と植民地支配下の重大人権侵害(日本軍性奴隷制、強制連行強制労働問題等々)の歴史を否認して、戦争責任・植民地支配責任を否定する日本政治と社会の「暴力性」を厳しく批判しました。単に過去の問題ではなく、在日朝鮮人に対する差別と人権侵害が再生産されています。
徐京植『半難民の位置から─戦後責任論争と在日朝鮮人』(影書房、二〇〇二年)、同『ディアスポラ紀行─追放された者のまなざし』(岩波新書、二〇〇五年)も在日朝鮮人の視点からの日本社会論です。徐の議論の全体像を多角的に論じたのが、早尾貴紀・李杏理・戸邉秀明編『徐京植─回想と対話』(高文研、二〇二〇年)です。
他方、尹健次『孤絶の歴史意識─日本国家と日本人』(岩波書店、一九九〇年)、同『民族幻想の蹉跌─日本人の自己像』(岩波書店、一九九四年)、同『日本国民論─近代日本のアイデンティティ』(筑摩書店、一九九七年)は日本国憲法の下でのナショナリズムの実態を鮮やかに分析しています。
日本人知識人による問題提起としては、中野敏男『継続する植民地主義の思想史』(青土社、二〇二四年)が重要です。ポストコロニアリズムを「継続する植民地主義」として把握し直し、日本が抱える問題を摘出します。
③梁英聖『レイシズムとは何か』
第三に現在の日本の民族排外主義について、③梁英聖『レイシズムとは何か』(ちくま新書、二〇二〇年)はコンパクトに、かつ鋭く批判的分析を加えています。梁によると、日本は人種民族政策や移民政策を持たない特殊なレイシズムを培養しました。外国人登録法と入国管理体制による外国人の排除と抑圧が徹底したにもかかわらず、表面的には人種民族政策の不在が特徴でした。アイヌ民族や在日朝鮮人の存在を不可視にした法体制が「日本には日本人しかいない」「日本には人種差別はない」という虚偽言説を可能にしました。それ自体が強烈な自民族中心主義であるにもかかわらず、日本人にとっては憲法第九条を基軸に「普遍的な平和主義」の担い手として自己認識することが可能となりました。この分裂に無自覚な日本が他者に攻撃的になっていきます。
河合優子『日本の人種主義─トランスナショナルな視点からの入門書』(青弓社、二〇二三年)は、欧米と日本の歴史的・社会的な背景や基本的な知識を踏まえて、差別、偏見とステレオタイプ、アイデンティティなどの視点から、人々の日常的な意識や振る舞いに潜む人種主義を浮き彫りにしています。
レイシズムの具体化としてのヘイト・スピーチについては、師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書、二〇一三年)、金尚均『差別表現の法的規制─排除社会へのプレリュードとしてのヘイト・スピーチ』(法律文化社、二〇一七年)、前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説--差別煽動犯罪の刑法学』(三一書房、二〇一五年)、同『ヘイト・スピーチ法研究原論─ヘイト・スピーチを受けない権利』(三一書房、二〇一九年)、同『ヘイト・スピーチ法研究要綱─反差別の刑法学』(三一書房、二〇二一年)があります。
「普遍的価値」に反する皮相な日本人ファーストですが、歴史的にも現実的にも一定の「根拠」に根差しています。転落の危機が切迫している現実に直面した恐怖と憎悪から、他者を排除し攻撃します。憎悪の政治学が作動し、他者を侮辱することで自尊心を維持したつもりになります。それゆえ社会から民主主義も多様性も失われます。対話も寛容も抑圧されます。こうして社会が壊れていきます。そこでは自己への尊重も消失するしかありません。日本人ファーストは最終的に日本を破壊する病理現象なのです。















