内村の人間性に最接近する
〈評者〉柴崎聰
書名には、「問答」という言葉が添えられています。通常、「問答」は、「禅問答」や「押し問答」という熟語からも明らかなように、問う者と答える者がいて、攻守を交代しながら、言葉を手立てとして丁々発止とやりとりすることですが、本書の示唆する問答者とは誰なのでしょうか。内村鑑三だけではなく、著者自身も含まれると思います。
本書に収められた二十四の問答名には、終助詞「か」(一つだけ疑問符がない見出しがある)が付随しています。離婚、友情と不和、不敬事件、天皇観、無教会主義の深意、義戦論と非戦論など話題は多岐にわたりますが、著者の遠慮によっておもむろに内村の核心へと誘われていきます。
「序にかえて」では、研究の始めの頃は嵐に抗してひとり立つ「仰ぎ見るほど高所に居る存在」だった内村への畏敬の念が、年齢を経るにしたがって、内村の弱者に対するまなざしの方に、より多くの共感を覚えるようになった、と著者は述懐します。この気づきは全篇を通して貫かれていて、生活の機微に裏打ちされた人間性に対する共感は、実に温かく穏やかで静かです。
著者は宗教学・宗教史学の泰斗ですが、単に書斎に留まっている机上の学者ではありません。前著『聖書を読んだ30人』(日本聖書協会、二〇一七年)を読めば、知識力だけではなく現場に赴く脚力によってこそ、誠実に取材されていることを知らされます。
史料や文献を読み込み、人を訪ね歩いて証言を聞く。そこで得た「状況証拠」に対しても著者は謙虚であり、安易な類推には抑制的です。文学者であり研究者である著者の真面目がそこにあります。
「三 進化論をどう理解したか」では、「進化論」との内村の葛藤が述べられたあと、「進化論と人間との関係を受け身にのみ見出そうとする見方に対し、植物でさえも相互的であるから、まして人間をや、との内村の考えが読み取れる」と言います。著者は、人間だけでなく植物の相互性にも目を向けた内村の先見性と前衛性に瞠目しています。
「二〇 文学者たちは背教したのか」で取り上げられている文学者は、正宗白鳥、有島武郎、小山内薫、志賀直哉、長与善郎です。著者の見解は実に温かいものです。裁いていないからです。
「ここに採り上げた文学者たちは、それぞれ自立の道に踏み入っただけであって、真正面から「背教」には迫害に加担するほどの仕打ちがなければならない」と言います。キリスト教に接近しながらも、葛藤の後にそこから遠ざかろうとするその様態に「離教」「棄教」「背教」の段階があると私は考えていますが、「背教」には迫害への加担がなければならないとする著者の見解に私は全幅の賛意を表したいと思います。
「二一 一生貧しかったか」で詳述される生活費の工面、雑誌の印税の詳細などに生身の人間としての内村が垣間見えています。傑出した偉人がすべて霞を食べて生きていたように誤解してきた自分への戒めになりました。
内村の人間味に親しく触れられた貴重な読書体験でした。
柴崎聰
しばさき・さとし=日本聖書神学校講師、詩人