信仰をもって老いの道を進むための最良の道案内
〈評者〉西岡昌一郎
本書は、「信仰生活ガイド」の第2シリーズとして、月刊誌『信徒の友』の記事をまとめなおし、キリスト教信仰の「入門書」「再入門書」として書籍化されたものです。
だれもが、いずれ避けて通れない事柄と向き合う時があります。読者やその家族が年を重ね、体の衰えと共に、次第に自宅での生活が困難となり、介護、入院、施設入所といった現実に直面することがあります。それは個々人によって、いろいろな形で経験され、必ずしも一様ではありません。しかし老いの現実がどういう姿で現れるのか、この本には、その具体的な事例が紹介されています。
年を重ねると共に、祈るべき人の名前が出て来なくなるということから始まり、やがては外出もままならず、今までできていたことができなくなる切なさを経験する人は少なくないでしょう。逆に、だれかの訪問を受けて祈ってもらって、新たな形での祈りの生活を経験する時があります。
老いに関わる小説を紹介した記事もあります。認知症を患う妻と連れ添い、困苦に満ちた老夫婦の日常生活の悲痛な現実が描かれています。その一方で目尻や口元の皺を隠そうともせず、あるがままの自分を楽しみ、豊かな老年を生きていった米国の女優の写真集も紹介されています。いずれも、老いの具体的な現実を通して、ひたむきに生と死を受けいれる覚悟と不思議な生気を感じることができます。
一方、認知症についての理解の仕方、対し方、向き合い方についての事例が紹介されているものもあれば、高齢者施設への入所までのケーススタディや施設選びの実際もケアマネジャーによって紹介されています。介護を通して周囲の力を借りながら、「もうできない」ではなく「まだできる」こととは何かを考える必要性も教えられます。高齢者と向き合う時には、受容と傾聴の姿勢をもって相手の言葉をゆっくり待つことが互いのコミュニケーションのために大事なことです。
この書の後半部は、葬儀と復活の希望をテーマとしてまとめられています。自分の葬儀を、残された家族たちにどう迎えてほしいのか、あらかじめ本人が「葬儀に関する遺言書」を記すことは、いわゆる「終活」のひとつです。
キリスト教葬儀の実際についても記されています。最期の看取りと臨終に際しての祈りから、一連の葬儀は始まります。昨今、パンデミックをきっかけに葬儀の簡素化や「直葬」も多くなってきていますが、それでも葬儀社を交えての葬儀の日程と段取りは必要です。キリスト教での葬儀となれば、遺族、葬儀社、そして教会の三者がそれぞれ関わることとなります。教会として葬儀式を執り行う場合、遺族の十分な理解が必要となるのは言うまでもありません。
納棺、前夜式、葬送式、火葬前式、さらには納骨、記念会といった礼拝と祈りの時は、それぞれの教会や地域によって少し違いがあるでしょうが、この本を通して、事前学習をすることができると思います。
いずれにしても、キリスト者にとって、死の眠りにつく時にも、復活の朝の光の中で目を覚ますことがゆるされているのは、信じる者たちの希望と慰めです。
『起きなさい、さゆり、よみがえりの朝だよ!』(99ページ)
西岡昌一郎
にしおか・しょういちろう=日本基督教団千葉教会牧師