自らの読書遍歴を振り返る中、小学校の担任だった風間晋平先生を思い出した。国語教育の専門家だった先生の授業には他校の教諭による見学が頻繁にあり、「どうも有名な先生らしい」と生徒たちも次第に気づいていった。もちろん私たちには先生の研究領域(児童言語)が分かるはずもなかったが、文章を読み解く面白さを教えてくださった授業の事は覚えている。
風間先生は教科書の枠を超えて多くの児童文学作品を紹介してくださった。先生のお気に入りの作家は椋鳩十で、彼の名作「大造じいさんとガン」を読み解いた授業の記憶は今も鮮明である。先生は登場人物の心の読み解き方を教えつつ、私たちが作品を味わい考えた内容を文章で表す所まで寄り添ってくださった。そんな先生の影響で小学生の私は様々な本との出会いを重ねていった。中学、高校、大学時代の読書には語るべき思い出がそれほど多くない事にこの度気づき、先生との出会いの意義深さを今更ながらに思い返している。その後私は神学校に進み、専門書を中心とする現在の読書の形を身につけていく。専門書の読書には多くの実りがあるが、純粋に読書を楽しんだ経験は小学生の頃がピークだったかもしれない。先生の教えが「読み・書き・思考する」私の人生の基礎を形成していることを思う時、風間学級に机を並べたあの日の思い出がよみがえってくる。
宗教改革者カルヴァンは一四歳の彼にラテン語を教えた教師マテュラン・コルディエに終生感謝を抱き続けた。後にカルヴァンは恩師に『テサロニケ前書註解』を献呈し、更には八二歳の老師をジュネーヴに招いてラテン語講義の依頼をしている。私が三十代の若い牧師だった頃、風間先生は残念ながら故人となった。カルヴァンには比ぶべくもないが、読書の喜びを伝えてくださった恩師への感謝を私も小さな形にしたいと願い、この場をお借りした次第である。
(さいとう・いそみ=東京基督教大学准教授)
齋藤五十三
さいとう・いそみ=東京基督教大学准教授