冷酷な人にならないために
〈評者〉塩谷直也
科学特捜隊のイデ隊員が、ウルトラマン第三十七話『小さな英雄』(一九六七年放映)で放ったセリフが忘れられない。新兵器を開発しても結局ウルトラマンが怪獣を退治するので、彼は自分の仕事に意味を見出せないでいた。やがて戦意を失い、無気力な顔でつぶやく。
「ウルトラマンが今に来るさ……」
まあそう頑張らなくても最後は正義の味方がやってきてすべて整えてくれる。悪代官は水戸黄門が懲らしめるし、不正を見逃さない大岡越前も江戸を巡回している(ことごとく例が古くてごめんなさい)。世界は不条理によって日々ゆがみが生じる。しかしこのゆがみをヒーローたちが定期的に正し、創造の秩序を回復するのだ。この期待こそが苦しむ民衆のささやかな「救い」。だがこの「救い」には重い副作用があった。創造性、可能性を奪われた、無気力で無責任、依存的な「イデ隊員」を形作るのだ。
キリスト教の終末論も、安易に受け止めればこのような信徒を量産しかねない。「万事が共に働いて益となる」のです。正義の神を信頼しましょう(「悪は滅びる」と信じ切れば面倒なことは考えずに済みますし)……この「安易な終末論」を徹底的に打ち砕く書、それが「ヨブ記」なのだと、本書を読み終えて感じる。
これは専門書ではない。よって文章は平易。しかし盛られた内容はそう簡単に消化できない。「ヨブの言葉はしばしば両義性を発揮して、言葉の裏を読むようにと読者を導きます。ヨブ記作者は読者を鍛えるためにヨブ記を書いたのかもしれません」(一四頁)とあるように、「イデ隊員」のような読者を一から鍛えなおす『ヨブ記』に足を踏み入れるのだ。お手軽な読書で終わるはずがない。それでも鍛え
られたその先に創造性を、自由を取り戻せる予感がある。記載された二次元コードから無料ダウンロードできる「ヨブ記 並木浩一訳」の全文も助けになった。猛々しい信仰の躍動が、じわじわと行間によみがえってくる。
ただ著者のテクスト解釈に「果たしてそこまで読み込めるのか?」と戸惑う場面もあった(例えば42章1〜6節の解釈)。しかし「解釈なしにテクストの意図は引き出せませんので、本書では筆者の解釈を記します」(一一頁)と明言する著者からの、それは挑戦でもあろう。『ヨブ記』を読むとは「〇〇がこう解釈した」で立ち止まらず、読者自身が逃げずに実存をかけて「ヨブ」「神」そして「苦難」と向き合わなければいけないのだ、との挑戦状なのだ。
学生時代、時間になっても現れないので勝手に休講と判断し、教室をそろりと抜け出たことがある。その瞬間、ようやく登場した並木教授がユーモラスな声を廊下に響かせた。「シオタニ、逃げるな!」 以来四十年、今もその声は本書を通して響く。この挑戦から逃げるなら、人は安易な終末論という安全圏から「悪人はおのずと没落」(九七頁)すると説き、苦しむ人に「自業自得でこうなったのだ」と諭し、「正しい」自分に酔いながら相手を切り捨てることだろう。実に「応報原理は人を冷酷」(同頁)にする。
神から逃げなかったヨブ、そして生涯をかけて『ヨブ記』から逃げない、いや逃げられない著者からの励まし、そして祈りが、本書の隅々にまで行き渡っている。
塩谷直也
しおたに・なおや=青山学院大学宗教主任