クエーカー神学の精髄を伝える
〈評者〉岩井 淳
例えて言えば、本田技研工業の創業者・本田宗一郎と「名参謀」として知られた副社長・藤沢武夫のような関係だろうか。前者のカリスマ的な創始者が、後者による体系化や組織化の労によって支えられ、後者なくして前者の発展は不可能だった。初期クエーカーにおけるジョージ・フォックスとロバート・バークレーの関係も、そのようなものであった。クエーカーは、一六五二年頃にカリスマ的な指導者フォックスによって創始されたが、この教派は、フォックスの支持者にして年下の友人バークレーの尽力がなかったら生き残れなかっただろう。
しかしながら、従来の研究はフォックスなど草創期の指導者を強調することが多く、バークレーの研究は必ずしも盛況ではなかった。こうした状況にあって、クエーカーの存続に大きく貢献したバークレーに注目するのが本書の訳者・中野泰治氏である。中堅のクエーカー史家である中野氏は、これまでバークレーを中心に研究を進めており、『クエーカー入門』(新教出版社、二〇一八年)という書物の訳者としても知られる。
原書は、王政復古期の一六七六年にラテン語版で、七八年に英語版で出版された。本書は、一六七八年の英語版を忠実に再現した二〇〇二年版を底本としつつ、バークレーの議論が難解であることを考慮して、本文の横に解説を付した一九〇八年版を参照して、訳出された。理にかなった原書の選択であろう。本書では、バークレーの込み入った議論を分かりやすく伝えようとする工夫が施されている。ただ、地の文と〔 〕や[ ]で示された訳者の説明が入り組んでいて、少し読みにくいので、適宜、訳注方式をとることも一つの選択だったかもしれない。
『真のキリスト教神学のための弁証』には、クエーカー神学の精髄が記されている。その要旨は以下の六点にまとめられる。第一に、すべての人は全的に堕落しているが、第二に、すべての人には、キリストの死による贖いによって信仰の基盤として「内なる光」が与えられる、第三に、自己を否定し無となる時に「内なる光」の働きかけがある、第四に、「内なる光」の最初の働きかけは罪を明らかにすることである、第五に、その働きに逆らわなければ、救いに与ることができる、第六に、救いに至った者は、この世で聖なる生活を送らなければならず、平和をつくりだす神の民として生きることが求められる。こうして体系化されたクエーカー神学は「内なる光」と「聖性の追求」という二つを核心として、その後も展開した。特に後者は、奴隷解放運動や監獄改善運動といった社会活動にクエーカーが立ち向かう原動力となったのである。
このように、現在に至るまでクエーカーを支えた神学的基盤がバークレーによって与えられた。これまでバークレーの思想は、フォックスなどと比べて、あまり注目されなかったが、本書の登場によって適切に参照することが可能となった。この点は本書の最大の意義であろう。また、バークレーの議論はキリスト教の多彩な歩みを背景に説かれており、クエーカーだけでなく、キリスト教の思想や歴史に関心を持つ読者にも訴えかけるものがある。訳者の労を多としたい。
岩井淳
いわい・じゅん=静岡大学名誉教授、日本ピューリタニズム学会元会長