不条理に満ちた時代への提言
〈評者〉金本 悟
さけびはとどく
定年前の牧師
人工知能と認知症の時代に
ブーバーの助けをいただき
二、三人で広がる世界を夢見る
武田信嗣著
四六判・160頁・1320円・ヨベル
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武田信嗣牧師の『さけびはとどく』(二〇二四年)を拝読させていただいた。
私がこの本を読み、一番強く印象に残ったのは、イエス・キリストの十字架上での父なる神への叫び(祈り)である。そして、そのイエス様の叫びを聞いた者として一緒に(二、三人で)イエス様の招きに応じようよ!」との叫びである。イエス・キリストの十字架での死は、不条理の不条理である。しかし、その場にて正義と愛に満ちた平和の神様がイエスの叫びを聴かれていた。その祈りを聞いた二人あるいは三人の者たちから神様の招きに応える弟子たちが起こされてきた。そして、弟子たちの群れが広がっていき教会となった。
著者は、「なんで日本のキリスト教はいつまで経っても人口の1%のままなのですか」と叫び、祈った武田二郎牧師を父に持つ。この現在の日本において、イエス様の呼びかけの声を聴きその声に応答しようとする。その時、このイエス様の呼びかけを一人で聴くのではなく二人あるいは三人で聴きたいと祈っておられる。二人あるいは三人で応答することの豊かさを知っているので、この本の読者に「あなたも一緒に神の呼び掛けに応答しようよ!」と呼び掛けている。
武田信嗣牧師は、神様の導きの中で、メノナイト・ブレザレン教会で牧師の子息として育ち、牧師となり、定年を迎えようとされる。その中での幾多の牧会的苦悩を祈りと賛美に変えつつ歩まれた。私は著者や他の牧師先生方と共に、米国のイースタンメノナイト神学校、ボストン大学神学部、合同メノナイト神学校を訪問し、共に礼拝を守る機会が与えられた。その時著者は礼拝ごとに奏楽を担当され、賛美と祈りの声をあげられていた。
その武田牧師に「われと汝」(マルティン・ブーバー著)として対峙してくださる方が神様である。著者は現代を「人工知能と認知症の時代」と捉える。この時代には人間の知能や人間の人格性が揺らいでくることがある。おうおうにして人は、他人(特に自分より弱いと見なす他人)を人としてというよりは物として扱うような罪人である。さらに、現代は「人」をデータの一部である「物」として扱うことを厭わない人工知能の時代でもあり、「人」から『認知機能』が衰えていくと「物」として扱われやすい時代である。
人間の弱さを知る武田牧師は、その弱い者を「物」として見ることなく「人」として語りかけてくださる創造主なる神様の声を「人工知能と認知症の時代」において聴いている。現代の戦争も主要な武器は人工知能を満載したミサイルやドローンの時代である。「敵」を「人」であるよりは「物」として扱う時代である。著者が牧会するメノナイト・ブレザレン教会は敵をも愛しなさいと語るイエス様の言葉を大切にする「平和教会」の一つである。この神様に向かって一緒に叫び続けていこうよと祈りながら語りかけている。その叫びは、神なき時代にこそ、なおも神の声を聴く姿勢を貫こうとしたシモーヌ・ヴェイユの叫びとも響き合う。
今の「人工知能と認知症の時代」も不条理に満ちた時代であるに違いない。まさに、イエス様が十字架に架けられたときと同じく、政治状況や社会状況によって「正義や愛」も「平和」も見えにくくなり、「人」が「物」として扱われやすい時代である。
だからこそ、我々に対峙してくださる神様に叫ぼう。その神様を信じて神様の招きに二人あるいは三人で応答していこう。そのような信仰の実践があるときに、神様がその叫びを聞いてくださり、「平和な神の国」建設に導いてくださるとの確信は、武田牧師の言う「二、三人の神学」を生み出す。そして、そのときに、創造主であり歴史を導かれる神様は私たちの叫びを聞いてくださり、日本におけるクリスチャン人口1%の壁を打ち破る知恵と力を与えてくださるであろう。
金本悟
かねもと・さとる=日本宣教学会理事長、大泉ぶどうの木教会牧師