私はあまり多くの本を読んでいるわけではないのですが、進むべき道に悩んでいる時、意図せず手にした本がその時の自分の状況に重なり合う経験をすることがあります。そのうちの一つの本を改めて手に取ってみました。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』です。
主人公は、故郷の人々の期待を背負って神学校に入学し、ギリシャ語やヘブライ語を学んでいました。当時私は、神学校の学びを終えようとしていた時期でしたので、主人公に自分自身を重ねて読んでいました。しかし、なぜか当時の私は、途中で読むのを止めていました。それで今回、栞ひもが挟まっていた箇所から先を読んでみました。その箇所は、神学生であることに誇りをもって、真面目に勉強をしていた主人公が、だんだんと横道に逸れていくところでした。自分に重ねて読んでいたが故に、その先を知るのが怖かったのかもしれません。続きを読んでみると、神学校を辞めて故郷へ帰った主人公を待っていたのは、喜びと絶望でした。絶望的な結末の最後を読み終わった後、重苦しい余韻が残りました。
訳者の解説を読むと、著者のヘルマン・ヘッセ自身も神学校を辞めた経験を持っていて、精神を病み、自分自身に絶望していたようです。しかし、晩年著者は次のように書いています。「神がわれわれに絶望を送るのは、われわれを殺すためではなく、われわれの中に新しい生命を呼びさますためである」。この言葉を読んで、救われる思いがしました。著者が絶望から立ち上がることになったきっかけは、母親の祈りでした。私自身、辛いことや悲しいことがあると、自分を悲劇のヒロインのように思ってしまうことがありますが、祈ってくれる人や支えてくれる人がいることに、改めて感謝の思いを強くしました。
絶望の底に置かれ、そこから立ち上がり、歩き出そうという思いが与えられるのも、本のもつ魅力です。
(いえやま・はなこ=日本キリスト教団箕面教会牧師)
家山華子
いえやま・はなこ=日本キリスト教団箕面教会牧師