達意の訳文で甦る改革者の釈義
〈評者〉大西良嗣
カルヴァンによるイザヤ書註解の日本語訳出版が始まった。たいへん喜ばしいニュースである。ラテン語もフランス語も読むことができない私のような者にとっては、原著からの邦訳はありがたい。カルヴァンのイザヤ書註解は分量が多く、英訳を読むのにも苦労があったが、とても読みやすい日本語に翻訳されたことによって、たいへん身近なものとなった。しかも、読者がカルヴァンの論旨を追いにくいと思われる箇所に、ことごとく[ ]によって訳者による補足が入れられていて、読み進めるのに詰まることがない。丁寧は翻訳作業がなされたことを感じさせられる。
訳者の堀江知己先生は、創世記註解の前半が渡辺信夫先生によって邦訳されてから長らく(三六年)中断されていた翻訳を完結されたことで、すでにカルヴァン旧約聖書註解邦訳に大きな貢献をされている。そして、このたび、イザヤ書註解に取り組み始めてくださったことに心からの敬意と感謝を申し上げたい。これから数巻に及ぶ出版が続くことになると思われるが、日本におけるカルヴァン研究の歴史に残る訳書になるに違いない。
カルヴァンによるイザヤ書註解を読む今日的な意義を書き添えておきたい。今日、聖書の解釈史を学ぶことの重要性が認識されるようになっている。歴史批評や文学批評的な研究の重要性が失われたわけではないが、聖書が教会をどのように形作ってきたのかを考える上で解釈史は重要である。私のような改革派伝統に属する者にとっては、自分たちの教会の伝統を形作った聖書解釈は、まちがいなくカルヴァンに負っている。今日の教会のあり方を考える上でも、カルヴァンの聖書解釈を確認することは大きな意味を持つ。そのためにもイザヤ書註解を日本語で読めるようになった意義は大きい。
読みやすい訳文を通して、カルヴァンが歴史批評的な聖書研究の発達に貢献したことを改めて感じさせられる。ただしカルヴァンは、イザヤ書の字義的文法的意味や歴史的背景を確認しながらも、神が預言者を通して語っておられるという視座から離れることがない。そして、解釈されたものを彼の同時代の教会に適用する。ただし寓喩的(アレゴリカル)に意味を当てはめてしまうことを批判し、聖書で語られたことと類似的な教会の状況に当てはめる。また、メシア預言に関する箇所では、預言者がバビロンからの解放など特定の時代を見据えていたと同時に、キリストがお生まれになる時代をも見据えていたという解釈を採る。
カルヴァンは、ヘブライ語の知識を含めて非常に優れた学識を持っていたが、より研究の進んだ今日の註解書とは見解が異なる点も多い。しかし、前述のカルヴァンの解釈の姿勢は、学問的に発達した今日の註解書を読みつつも、教会に何が語られるべきかを教えてくれる。カルヴァンの聖書研究が、教会に足場を置き、教会を建て上げるためのものであったゆえだろう。
今日の教会において、旧約聖書からの説教が少なくなっていると言われる。この訳書の出版は、日本の教会の牧師たちを通して旧約聖書から豊かな説教が語られるためにも、確かな助けになるに違いない。
大西良嗣
おおにし・よしつぐ=神戸改革派神学校常勤講師・日本キリスト改革派宝塚教会牧師