21世紀のスタンダードな研究成果を一望できる一冊
〈評者〉山我哲雄
フォン・ラートやツィンマリの名著以来久方ぶりに、しかも最新(原著二〇一九年)の旧約聖書神学が日本語で読めるようになった。著者コンラート・シュミートはスイスの出身で一九六五年生まれ。現在チューリヒ大学教授で、同じくスイスを拠点とするローザンヌ大学のトマス・レーマーと並び、国際学界で最も精力的に活動している最先端の旧約学者の一人で、二〇一九年から二二年まで国際旧約学会(IOSOT)の会長を務めている。五書や預言書を中心に幅広い研究分野を持ち、旧約学でも専門の細分化が進むなか、旧約聖書全体を俯瞰する総合的・包括的でスケールの大きい学風を特色とする。すでに『旧約聖書文学史入門』が拙訳で紹介されている。
本書は全九章からなり、第一章の序論に続き、第二章と第三章では「旧約聖書神学」を構成する「神学」と「旧約聖書」とは何かがそれぞれ概念規定される。第四章ではイスラエル宗教史、組織神学等の隣接分野との関係と本書の方法が示され、第五章では宗教、教派により旧約聖書の形態や区分の仕方、文書の配列に差異があり、そこにそれぞれ異なる「神学」が示されていることが指摘される。本書の中心をなすのは第六章から第八章までで、第六章ではユダヤ教正典の区分に従い、「トーラー(律法)」、「ネビイーム(預言者)」、「ケトゥビーム(諸書)」それぞれにいかなる「(諸)神学」が展開されているかが示される。第七章は「文学史における神学史の基本路線」と題し、歴史に沿って神学史がたどられ、特に北王国イスラエルの滅亡(前七二二年)、前七〇一年のエルサレムの危機回避、アッシリアの支配、ユダ王国の滅亡(前五八七年)、ペルシアの支配とその没落、マカバイ危機といった各時代の歴史的状況がそれぞれの時代の「神学」にどのような影響を与えたかが解明される。第八章は「旧約聖書神学の諸テーマ」と題し、神認識(神観)、創造、歴史への神の介入、契約と(族長たちへの)約束、法と律法、神殿と祭儀、国家と民族、王政(メシア思想を含む)、人間観といった重要な神学的「テーマ」が論じられる。最後の第九章は「ヘブライ語聖書あるいは旧約聖書に関するユダヤ教神学あるいはキリスト教神学」である。
本書全体を通じて著者が強調するのは、旧約における神学思想の「多声性」と、テキスト間の連関性(インターテクスチュアリティ)である。すなわち著者によれば、旧約聖書の中には多くの異なる神学的な立場が併存しているのであり、多くのテキストは相互に引用や模倣、仄めかしや反転、倒立、発展的加筆(フォルトシュライブンク)などを通じて意図的に連関しあっており、賛同や強化(エスカレーション)、修正や改訂、批判や反論などの形で反応しあっているのである。
訳者の日髙氏は現在シュミートのもとで研鑽を積んでおられ、「師匠」の著作の紹介者として最適任であろう。六〇〇ページ近い大著を訳された労を多とするが、分かりやすい日本語表現という点では多少より工夫を要すると思われる部分もある。また、三七二頁では「地」を表すヘブライ語(エレツ)の綴りが(三箇所すべて)間違っている。
山我哲雄
やまが・てつお=日本旧約学会前会長