パウロ書簡の註解に学びキリスト者の希望に生かされる
〈評者〉市川康則
評者は本書の出版を知ったとき、驚きと感動を覚え、思わずアーメンと唱える思いがした。著者は五年前に同じ出版社から『キリスト教哲学序論─超越論的理性批判』を公刊されたが、その「あとがき」で、同書を「遺作のつもりで」執筆されたこと、著者の「生涯の主題研究の結論としたい」ことを表明された(四七三頁)。評者は逆に、それが著者の遺作にならないことを願ったが、今春、この願いが叶えられたことを痛感した次第である。
ここに紹介する著作は(右記前著と共に)、著者の積年の研究の一大結晶、また帰結である。著者は周知の如く、A・カイパー、H・ドーイヴェールト、C・ヴァン・ティルらによって明示されたキリスト教有神論的世界観・人生観に堅く立つ哲学研究者であるが、此度の著作は、主にローマ書八章後半における使徒パウロの激励に満ちた教えについての宗教改革者カルヴァンの註解書の研鑽、またそれに基づいた著者自身の当該箇所についての研究の成果を遺憾無く証明している。
本書執筆の動機および背景は、公共的、普遍的には新型コロナ禍、ウクライナ戦争などに象徴される自然界と人間社会における惨禍であり、個別的、特定的には続いて起こった御夫人および著者御自身の怪我や病気と加療である。著者はこの時改めてカルヴァンのローマ書註解(ラテン語第三版)の当該部分を独習し、神の子らの現在の艱難辛苦が実に主イエス・キリストにある神の全体的支配と導きの中に確かに置かれていることを確認した。著者御自身の病苦も地球規模の災禍も確かに神の計画と支配の中にあるがゆえに、将来に向かうための希望と力があるわけである。
本書の一大特徴、また中心的確信(確認)事項は、副題とされている「救いの恵みの漸層法」である。漸層とは一段ずつ確実に上がっていく歩み方を指すようだが、本書においては、語句を重ねて用い、結末を強調する修辞法の一種である。永遠における神の予定、歴史におけるキリストの贖いとキリストへの信仰による義認、聖霊に導かれた聖化とその中での堅忍、そして歴史の向こうにある終末の完成・栄光化─キリスト者の試練や苦悩を含め、すべての出来事はキリストにある神のこの確かな導き(恵みの漸層法!)の中に置かれており、それゆえに失望、挫折、諦めに終わることはないのである。
神学研究に僅かながら携わった評者が大いに驚き喜んだのは、哲学者である著者がカルヴァンの註解書を用いて聖書本文の研究に取り組まれたことである。著者は有神論的世界観・人生観という正に宗教改革的原理に堅く立ちつつ、様々な試練の中で力強く哲学研究に取り組んで来られた。評者は本書を学ぶことにより、著者の体験と世界の出来事を(それゆえ評者自身の今後の体験も)全体的、統合的に神の救いの恵みの漸層法において捉えるべきことを痛感させられた。哲学研究も、神学研究も、これらの基礎とも言うべき聖書研究も、そしてこれらすべての文脈であるキリスト者人生自体も、既にキリストにあって神の子らとされた者が最後まで希望の内に忍耐して究極の勝利・栄光化に至るためにこそなされるものであることを、確信し、確認させられる次第である。
市川康則
いちかわ・やすのり=日本キリスト改革派千城台教会牧師、前神戸改革派神学校校長