「韓国のガンジー」が問いかける民衆思想
〈評者〉山本俊正
『未完 朝鮮キリスト教史』を書いた澤正彦は、朝鮮の歴史が聖書に描かれているイスラエルの歴史に類似していることを指摘している(16頁)。確かに列強国に挟まれた両国の歴史は、侵略と分裂を繰り返す苦難の歴史であった。朝鮮半島の苦難の歴史の極めて大きな部分は、日本との関係であることに気づかされる。14世紀を中心に活動した海賊集団倭寇は略奪を繰り返し高麗を苦しめた。16世紀末には、豊臣秀吉によって2度にわたる朝鮮侵攻が行われる。秀吉の死後撤兵するが、長期の戦乱は朝鮮全土を荒廃させた(文禄・慶長の役)。日本は、19世紀後半に起きた江華島事件を契機に武力を背景とした不平等条約(江華条約)を結び、日清・日露戦争を経て、1910年に「韓国併合条約」で大韓帝国の植民地化を完成させる。36年間に及ぶ植民地支配は、日本の敗戦(朝鮮半島から見れば解放)とともに終結する。しかし戦後、南北は分断され、78年後の今も植民地支配の清算は済んでいない。
本書は、咸錫憲(ハム・ソクホン)のシアル(民衆)思想がどのように醸成され、展開されたかを様々な角度から解明し、その全体像に迫る力作である。咸錫憲が日本の植民地時代に朝鮮の苦難の歴史を叙述した『聖書的立場から見た朝鮮の歴史』を中心的な1次資料として書かれている。第1章では咸錫憲の3・1独立運動、日本留学期の体験、内村鑑三との出会いと思想的影響について記述されている。第2章の「朝鮮の無教会」としての活動期では、朝鮮に戻り、民族教育を中心に展開された多彩な活動、柳永模からのシアル思想への影響、矢内原忠雄との交流に触れている。さらに第3章では、『聖書朝鮮』誌に掲載された咸錫憲の論文を前期、中期、後期に分類し、内容の分析と紹介が行われている。特に、連載論文『聖書的立場から見た朝鮮の歴史』については検閲削除された部分を含め、精緻な分析と解説がなされている。第4章ではシアル思想の核心とされる「預言者」像について考察されている。内村鑑三を預言者のモデルとして捉えていたこと、咸錫憲が書いた詩文「預言者」を基に、「素の人」から「民衆」への展開が紹介されている。第5章では、咸錫憲がシアル思想の土台の1つとなる「苦難」を、イザヤ書の「苦難の僕」に合わせて「受難の女王」(歴史の道端に座っている年老いた娼婦)をモチーフとして論じていたことを解説している。
本書の副題ともなっている『聖書的立場から見た朝鮮の歴史』は、戦後も朝鮮の歴史と聖書を結びつけた史観として民衆神学にも影響を与え、再評価されている。その最大の理由は、咸錫憲が王や支配者の立場からではなく、民衆(シアル)の苦難史に寄り添い、こだわり続けたことに他ならない。咸錫憲は、日本の植民地支配下においても戦後の韓国軍事政権下においても、一貫して反体制運動を実践し、非暴力主義を唱えた。本書は「韓国のガンジー」と呼ばれた咸錫憲の「シアル思想」の建付け、高さと深さ、広がりと奥行について学ぶことのできる類書に乏しい良書である。一読を薦めたい。
山本俊正
やまもと・としまさ=元関西学院大学教授