「キリスト教と平和」を考えるための必読書
〈評者〉西原廉太
昨年二月のロシアによるウクライナに対する軍事侵攻は世界中を震撼させた。そして、現在に至るまで、世界はこの軍事的暴力を止めることができていない。
今年二月二一日、プーチン大統領は、軍事侵攻一年を記念してモスクワで行われた政治・軍事指導者向けの二時間の演説で、西側諸国の道徳的な退廃が戦争の根本原因であるとし、「彼らは歴史的事実を歪曲し、ロシアの文化、ロシア正教会といった伝統的な宗教を絶えず攻撃している」と非難した。それを象徴する出来事として、直近の英国教会での同性婚祝福を認めた総会決議を取り上げ、「聖公会は、性別にとらわれない神という考えを検討する予定だと言う。私たちにはもはや言葉がない。神よ、彼らを許し給え。彼らは自分たちが何をしているのか分からないのだ」と断罪した。聴衆の最前列にはメドベージェフ前大統領の隣に、プーチン大統領を全面的に支持するキリル総主教が座っていたが、まさしくプーチン大統領にとって、この戦争は文化・宗教戦争でもあることの証左であった。
キリスト教史、キリスト教倫理をめぐる諸問題が、国家の軍事的暴力の根拠とされるという事態に直面して、私たちの「キリスト教神学」はいかなる貢献が可能なのかが、厳しく問われている。そのような中での本書の出版が、まさに時宜にかなった貢献となることは間違いない。
第一部「キリスト教における戦争と平和主義」では、まず、石田学氏が聖書における苦難、報復、赦し、そして平和の連関性について整理する。矢口洋生氏は、アナバプティズムの視点から、平和主義の責任について提示する。神田健次氏は、WCCを中心とするエキュメニカル運動、特に「生活と実践」運動を俯瞰し、現下のウクライナ侵攻をめぐるWCCの取り組みとロシア正教会の応答等も紹介する。
第二部「太平洋戦争と平和主義」では、山口陽一氏が、神風特攻で戦死した林市造と本川譲治を取り上げ、二人の信仰と特攻の関係について考察する。佐々木陽子氏は、日本の徴兵制における徴兵忌避者に注目し、米国における良心的兵役拒否の背景にあるものを対比させながら、国家による身体の収奪としての徴兵を論じる。原真由美氏は、バプテスト派宣教師であったホルトムの神道研究が、GHQ「神道指令」の基礎となったことを明らかにしつつ、その不徹底さが日本に国家主義の残存を許したと指摘する。
第三部「現代における戦争と平和」では、木戸衛一氏が、戦後一貫して反ミリタリズムを守ってきたドイツが、湾岸戦争などを経てNATOへの軍事的参与を強化し、さらにはウクライナ軍事進攻に直面し、ドイツ平和運動の伝統的スローガンである「武器なしに平和を創る」が大きく動揺している現状を報告する。クリスチャン・モリモト・ヘアマンセン氏は、北欧における良心的兵役拒否の歴史と状況を整理した上で、ウクライナ侵攻に衝撃を受ける形で、軍備強化が一気に進もうとする中でのエキュメニズムの責任を語る。中西久枝氏は、ウクライナでの軍事衝突がハイブリッド戦争であると分析し、サイバー戦がもたらす問題に、宗教の枠組みを超えて対応することの必要性を提示する。
「キリスト教と平和」を考える上での必読書の誕生を、心から喜びたい。
西原廉太
にしはら・れんた=立教大学総長