正教会の霊性とともに歩む愛の物語
〈評者〉笹森田鶴
本書は、二〇一九年六月一三日に五九歳の若さで急逝した、函館ハリストス正教会の長司祭ニコライ・ドミートリエフ神父の「レクイエム・エッセイ」です。モスクワのロシア正教会司祭の子として生まれ育ったニコライ・ドミートリエフ神父と、本書の著者であり、長野県松本市で生まれ育ち、東京でロシア語を学んだスヴェトラーナ山崎ひとみさんが、旧ソビエト連邦の「レニングラード」の神学アカデミーで出会い、結婚し、その後司祭となったニコライ神父とともにソビエト連邦崩壊という歴史の只中で過ごし、日本に移り住み、東京・神戸・函館の各教会で二人三脚でその職務を担い、そして死別することとなった後にも続いていく愛の物語、信仰の旅路の物語です。
ニコライ神父はまさかご自分が司祭になった後にロシアではなく日本で奉職されることになろうとは思いもしなかったでしょうし、また山崎ひとみさんもご自分が司祭と結婚して教会の司祭館に長く住むことになろうとは想像もされなかったでしょう。けれどもお二人が出会い、愛し愛され、ともに時間を過ごし、神と人々のために仕える生き生きとした日々の物語を読み進めていくうちに、著者が二度引用する「人は事を図るが、事を成すのは神」というロシアの諺の通り、これらすべては神のなさったことなのだと思い至るのです。だからこそ、ニコライ神父の急逝を心痛く感じ、その後の著者の半身を削がれたような苦しく辛い、孤独な沈潜の時間に思いを馳せ、著者のために読書の途上で祈りをささげてしまうのです。
同時に、このお二人の物語は二人だけの物語で終始するのではなく、ロシア正教会の、また日本ハリストス正教会の神への誠実な向き合い方や神学、また暦や期節の折のご祈禱や生活の中での実践の様子が、それぞれの章ごとに見事に展開されていきます。正教会の霊性に触れさせてもらい、二人の見ていた風景が目の前に拡がり、二人の感じていた季節感や空気感、また色や香りまで知ることができるような思いになる見事なエッセイです。巻末には正教会の理解のための資料も加えられ、その長い歴史の先に生きたお二人の深い信仰や信頼関係、互いを思いやるお人柄が加わり、まるで時間を一緒に過ごしているような、あるいは著者にニコライ神父を引き合わせてもらっているような感覚すら覚えます。
また人々との交わりをあれだけ大事にされているニコライ神父が、平和を願わないわけがありません。本書はわたしたちを「ロシア」という国の単位ではなく、その地から日本に来た一人の神父として出会わせ、人間と人間との基本的な関係の持ち方へと連れ戻してくれます。そしてこの世界での神の平和の実現を一日も早くと強く願い祈るのです。
同年代で、しかも自分の思いとは違う出来事として北海道へ移り住み、そこで聖職として奉仕することとなったわたしは、一層ニコライ神父に北海道の地でお会いしたかったと思わずにはいられません。けれどもいつか必ずお会いする時が来ます。その時までわたしもひたすら祈ります。
「主よ、汝の僕、長司祭ニコライの霊を安んぜしめ給え」。
笹森田鶴
ささもり・たづ=日本聖公会北海道教区主教