あたかも一人が語るひとつの説教のように
〈評者〉山崎龍一
2021 ケズィック・コンベンション説教集
わたしたちの希望
パンデミックの時代に
大井 満 責任編集
四六判・200頁・定価1430円・ヨベル
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1875年、イギリス湖畔地方ケズィックの地で、「聖書的・個人的・実践的きよめ」が聖書講解説教よって語られる聖会として産声を上げ、日本では1962年に「日本キリスト者修養会」として始まったのが「日本ケズィック・コンベンション」です。2021年は60回を迎える節目の年でしたが、新型コロナウィルス感染拡大のためオンラン集会となりました。説教集は「わたしたちの希望~パンデミックの時代に」と題されることになったのです。
感染拡大は私たちに人生の計画の変更、社会に無力感・失望を与えました。ある人の人生が途絶え、遺された者に深い悲しみをもたらしました。その困難な時代に、神を信じる者の「聖さと希望」が語られたのです。開かれた聖書箇所は預言者の時代、バビロン捕囚帰還後の時代、異邦人としての歩みが困難な時代、キリストを信じることが迫害や死に繋がる時代と、聖書全体を網羅するかのようです。
キリスト者のもつ希望とは、決して「困難に打ち勝って、前を向いて歩もう」というスローガンではなく、キリストの十字架と現在に続く聖霊の働きであることが、最初のメッセージから方向付けられています。
続く複数の説教では、困難の現実的解決ではなく「実践的きよさを促進」し、主への服従の生活、聖霊に満たされた生活を歩むことによって、希望に生きることが語られます。希望と忍耐という生き方は主の答えを「待つ」こと、「新たな決断」そして、そこに人生の真の勝利があると説教は続きます。勝利はキリストに似たものとされ、神と人に仕える人に変えられていくこと、希望とは「神との平和、今立っている恵み、神の栄光にあずかる」ことであり、その根源はみ言葉への傾聴であると語られます。さらに青年への説教では、自分の罪に嘆きながらも主の赦しに生きる中で、主は一人一人の人生に使命を与えてくださり、交わりの中で遣わされていくことが語られ、勇気と励ましが与えられます。
複数の説教者の異なる聖書箇所からの説教集なのですが、十字架の赦しに生かされ、聖霊に満たされ、現実の困難から目を背けずに歩む中で見えてくる希望が、あたかも一人が語るひとつの説教のように心に迫ってきます。
各地域の説教からも、人間の真の問題は突き詰めれば「罪と死」であるという人生の軸を明確にし、ヨナのように主の御心の中で悔い改めて立ち返ること、教会内の困難に対しても互いに手を差し伸べること、主のご計画は十字架という過去に実現した神の計画であると教えられます。さらに現実の困難に神の温かい支配が示され、犠牲的な愛を土台とし、キリストに似た者とされる生き方が示されます。
巻末にある説教集の書評の再集録に「説教者は外国人・日本人説教者を含め複数に渡るが、あえてここではその名を挙げない。説教する人間に価値があるのではなく、説教そのものの内容に価値があるからである」とあります。その言葉が表すように複数の説教者による異なる説教集であるにもかかわらず、ひとつの説教として私たちに語りかけてくるのです。まさにケズィック・コンベンションがキリストにあってひとつということを表わし、読む者に希望を与える一冊となっています。
山崎龍一
やまざき・りゅういち=お茶の水クリスチャン・センター常務理事