生き生きと伝える『神曲』の魅力
〈評者〉春日いづみ
神曲つれづれ
住谷 眞著
A5判・154頁・本体2500円+ 税・一麦出版社
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イタリアのある文芸評論家が、イタリア最高の詩人は、今以てダンテだと言うのを聞いた。七百年前の詩人の名に驚いたが、ロダンの「地獄の門」をはじめ、ボッティチェリやドラクロワの絵画、アンデルセンの『即興詩人』など、芸術、文学作品に多大な影響を与えていることを改めて思ったことであった。住谷眞氏は『神曲』を子ども向けのアレンジ本にされているが、このほど刊行された『神曲つれづれ』は、『神曲』の各歌にまつわるさまざまな所感をエッセイとしてまとめている。住谷氏の所属する短歌結社、ナイル短歌工房の月刊誌「ナイル」に連載したものに加筆訂正をしての刊行である。筆者も「ナイル」が届くとすぐに冒頭を飾るこのエッセイを読むのが楽しみであった。フィレンツェの歴史、当時のダンテの置かれた状況、キリスト教の腐敗、登場人物の身の上など、懇切な解説のお蔭で『神曲』が親しいものとなった。
『神曲』には多くの人物が描かれているが、生前の罪科に相応して冥界の居場所が下される。罪の種類もさまざまで、「地獄篇」では、日和見主義、汚職、高利貸し、武器商人、裏切り等々、実名で書かれている。地獄、煉獄、天国、それぞれの場所へと審判を下す物差しは聖書であるが、ダンテを不遇に追いやった人々も描かれていて興味深い。七百年以上を経た現代の世界の情勢、人間の在りようがまったく現代と変わらないことに呆然とする。住谷氏はそうした点についても視野の広さ、古今東西の知識を以って、イタリアだけではない世界の荒野へと読者を導いてくれる。
炉の火燃ゆフランチェスカのこの中にありとも見えて美しきかな 与謝野晶子
こういった『神曲』から着想を得た、もしくは住谷氏に『神曲』を連想させる万葉から近現代の和歌、短歌も紹介されている。ダンテはラテン語ではなくトスカナの地方語で『神曲』を書いたということの意味を住谷氏は強調する。日本にあって日本語教育がいかに重要であるか、外国語教育に力を入れる現在のあり方を危惧している。短歌は日本の土壌に育まれた詩型であり心の器であることを、住谷氏は自らの歌作の体験を通し首肯してきたことが窺われる。
『神曲』と和歌、短歌の取り合わせは文化の交わりを深めるものである。「煉獄篇」第十一歌、第二十歌の所にそれぞれ「派遣意識」、「恩寵の内在」というダンテの自己意識についての住谷氏の見解があり、興味深かった。神から使命を与えられた、恩寵が自らの内に宿ると意識するダンテ。だがそれは彼の高慢さ故ではなくむしろ「自分がある特別な使命を与えられて、ある場所に派遣されている」という派遣意識と自身に内在する恩寵を謙虚に意識してのことだと住谷氏は述べている。才能は神からの賜物であり、それを意識する時、困難をも受け入れ、大きな働きができるようになるとの住谷氏の熱いメッセージも感じた。「天国篇」は肉体を持たない魂の世界になり、ダンテの問いにベアトリーチェや聖人たちとの問答が中心だが、住谷氏は自らの体験や見聞が育んだ見識を述べ読者を引き込む。その態度はリベラルで、未来の人間の行方を常に見据えている。牧師として、また聖書研究や翻訳に携わる住谷氏の真価の光る一集である。
春日いづみ
かすが・いづみ=歌人