熟練の案内人と御言葉を思い巡らす
〈評者〉井幡清志
本書は、タイトルに『講話』とあるとおり礼拝で語られた説教ではないが、説教全集に加えられ、その第31巻となった。すでに多くの巻が刊行され、多数の読者がおり、多くの学びを与えてきた周知の全集に一冊が加えられたわけで、「何を今更書評か」と言う気もする。
ところが、である。この書物、聖書の連続講解に違いないが、既刊の説教集と趣が随分と異なるではないか。
著者のあとがきによれば、内容は日本FEBCの番組『聖書をあなたに』で語られたものである。その放送時間は20分ほどで、著者が教会や講演で語る時間の半分にも満たないであろう。既刊の説教集『ルカによる福音書』は全四巻であるが、同程度の長さの使徒言行録を読むこの書物が(放送期間の都合で語られなかった章、節があるとはいえ)一巻完結なのは、そういう事情である。
長さだけではない。この著者の、他の巻に収められた説教では、ひとつの聖書箇所を説き明かす際に、多くの著作や説教、エピソードなどが丁寧に引用、紹介され、その紹介された神学者、牧師、信仰者たちと説教者とが、ひとつの御言葉を巡って対話し、螺旋階段を上るように神の真実に迫っていく趣がある。あるいは引用から与えられる多様な視点によって、御言葉の核心に肉薄していくのである。このように豊富な「素材」を幾重にも重ねるように語り進められる説教は、著者の牧した教会の会衆のように、鍛えられた聴き手となることを求める面があるのではないか。
この著書は、その点で対照的である。聖書朗読を含み20分というスリムな時間で、面識のない様々な状況にあるリスナーに向けて語られている。それ故に、引用、紹介は少なく、その分、著者と聖書本文との直接的な対話や考察に字数が充てられ、説教に耳慣れない聞き手の心にも、聖書の言葉そのものが浮かび上がる。というより、一緒に御言葉を読み進め、時に引っかかり、振り返りながら、使徒たちの営み、信仰、伴う聖霊のお働きをたどっている感覚が、より顕著に、また端的に得られる。
ある意味シンプルでありながら、熟練の案内人と共に御言葉一つひとつに立ち止まって思い巡らすような趣は、著者の説教集、聖書講解の豊富なラインナップの中にあって、この使徒言行録講話の持ち味のひとつであり、手に取る者が得られる親しみと喜びではないか。
日本FEBCに長くご奉仕をしてこられた著者であるが、この講話は「そのご奉仕を終える頃の一年間の言葉の記録」とある。それが今回、新刊として世に送り出されたことに、使徒たちの聖霊を待ち望む祈りは、今日の教会に共有されているかとの著者の問いを見る。その祈りが弱まっていないかということである。あるいは、使徒たちの伝道を受け継ぐとは、教会が何を見つめることなのか、どう歩むことなのか。使徒たちの伝道の『記録』から、その主にある悩みと喜びと覚悟を今一度、見つめ直すべきではないか、と。
著作からの引用をもって結びたい。「聖霊を与えてくださるというのは、これは全く神さまのお仕事であるに違いない。それを祈りをもって待つ以外にわれわれになすべきことはない。しかし、その祈りをもって待つ群れの姿勢は整えなければならない」(22頁)。
加藤常昭説教全集31 使徒言行録講話
加藤常昭著
四六判・460頁・4290円(税込)・教文館
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井幡清志
いばた・きよし=日本基督教団石動(いするぎ)教会牧師・日本FEBC担当教師