「礼拝」について知りたい、学びたいという声は、キリスト教会の内外に少なくありません。しかし、日本における神学教育、教職者養成の現状において、「礼拝学」は二の次とされている感が否めません。ことに、北米からの宣教師に由来するプロテスタント諸教会において、この傾向は顕著です。
時に「賛美歌付き講演会」などと揶揄されることさえあるシンプルな礼拝形式は、キャンプミーティングや信仰覚醒を伴う急激な教勢の進展に結びついた19世紀北米プロテスタントにおいては、諸教派を縦断して共通の要素としてあったことは確かです。それが、宣教師をとおして日本に伝えられたのです。けれども北米の諸教会は、その後、20世紀初頭の「第一次リタージカルムーヴメント」を受けて、式文改訂をとおして礼拝改革を進めることへと向かい、それは、礼拝形式のみならず、教会建築の様式に至るまで浸透していったのです。ところが、戦争の影響もあり、日本の諸教会にはその成果が十分に伝わりませんでした。
このことは、日本のプロテスタント諸教会が、宣教師の派遣元である母教会からの自給自立を早い内から目指したこととも関連するでしょう。旧日本基督教会の姿勢に代表されるように、簡易信条とシンプルな礼拝形式を基本に据えるあり方は、教派を超えて日本の諸教会に浸透していき、それは、日本基督教団の戦後のあり方にも継承されています。『日本基督教団口語式文』に規定された3つの礼拝順序のうち、シンプルな「礼拝順序Ⅰ」は、各個教会による多少の改変を伴いつつも圧倒的多数の教会で受容されています。他の2種類の礼拝順序は、「リタージカルムーヴメント」を受けた式文改訂と礼拝改革の成果を取り込んだ意欲的なものですが、現在に至るまでほとんど省みられることのないまま推移しています。形式よりも内実、式文(成文祈祷)よりも自発的な言葉で祈る(自由祈祷)ことを重視するといった有り様が、十分に検証されることなきままに継続されているのです。そのような中で、礼拝改革や式文改訂に意欲を見せる研究者、牧会者は繰り返し現れますが、神学の本質から離れた些末な事柄に興味を抱くことに意味はあるのかという冷めた目線を向けられることがしばしばであったと言えるでしょう。今もあまり変わらないかもしれません。
今から60年ほど前、ローマ・カトリック教会では「第二ヴァティカン公会議」が開催され、典礼改革と共にエキュメニズムの分野で転機となりました。共同訳聖書は大きな成果の一つですが、プロテスタント教会側での共通聖書日課や諸教会の式文改訂に与えた影響は計り知れません。そして、世界教会協議会(WCC)における『リマ文書』とその意図を実際の合同礼拝で具体化するための『リマ式文』の策定へとつながります。ここから「第二次リタージカルムーヴメント」が花開きます。日本基督教団をはじめとする日本の諸教会でも、この成果を受け止めるべく多くの研究と発表がなされました。式文の試用版の刊行、聖書日課の提案等々です。『讃美歌21』の刊行もこの流れの中にあります。しかし、世界の諸教会が次々と式文改訂と礼拝改革の成果を実らせていくのを尻目に、日本の諸教会では従前のままの状態が継続しています。ある宣教師は「日本に来たら、神学校で歴史として学んだ150年前の礼拝の形がそのまま続いているのに驚いた」と述べています。
少なくとも、捧げている礼拝がどこに由来し、どのような経緯で今の形式になり、そこにどのような意味があるのか、課題はないのか、といった検証はなされるべきだと考えます。さらに「祈りの形は信仰の形」と言われるように、礼拝学は決して傍系の学問ではなく、神学の本質に迫るものであるという認識を回復し、今後の式文改訂や礼拝改革を、より広く深い考察と検証をもって進める体制作りの必要を感じています。こうした課題認識を持ちつつ「わたしたちの礼拝について知る」ための本の紹介をしていきたいと願います。
『人物でたどる礼拝の歴史』
まずは、キリスト教会の礼拝の諸相と変遷について概観できる入門書としておすすめなのが、江藤直純・宮越俊光編『人物でたどる礼拝の歴史』(日本キリスト教団出版局、二〇〇九年)です。本書は季刊『礼拝と音楽』(日本キリスト教団出版局)に二〇〇二年より二四回にわたって連載された記事を再編集したものです。キリスト教礼拝史についての優れた通史は、今までもなかったわけではありませんが、人物に焦点を当てて紡がれる通史というのは類を見ないものです。使徒たちの時代から、東西教会分裂そして中世におけるローマ・カトリック教会への流れはもちろんのこと、宗教改革以降の諸教会の礼拝についても詳述されているのが特色です。さらには、日本のキリシタン時代への言及もあります。また、現代における礼拝学復興の祖となる人物や第二ヴァティカン公会議、さらには、テゼ、「リマ式文」も網羅しています。とかく礼拝史の叙述は「式文の変遷」を軸に叙述されることが多いのですが、実際の担い手であった人物に焦点をあてることで、その時々の礼拝共同体の実際が立体的になります。何よりも、本書は日本人研究者、牧会者による書き下ろしであり、大変読みやすくなっています。まずはここから始めてみてはいかがでしょうか。
『プロテスタント教会の礼拝──その伝統と展開』

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『プロテスタント教会の礼拝──その伝統と展開』
J・F・ホワイト:著
越川弘英:監訳
プロテスタント礼拝史研究会:訳
日本キリスト教団出版局
2005 年
A5 判
458 頁
6,380 円
続いて、プロテスタント教会の礼拝に特化した研究書である、J・F・ホワイト『プロテスタント教会の礼拝』(日本キリスト教団出版局、二〇〇五年)を紹介します。著者のJ・F・ホワイト(一九三二~二〇〇四年)は、合同メソジスト教会に籍を置いた北米屈指の礼拝学者であり、礼拝学に関する著書は19冊を数えます。デューク大学にて博士号取得、パーキンス神学校(南メソジスト大学)およびノートルダム大学の礼拝学(典礼学)教授を長く務め、ドルー大学教授及びイェール大学客員教授を歴任。礼拝学研究においては避けて通ることのできない第一人者です。
英語圏プロテスタントの礼拝学における先行研究としては、ホートン・デイヴィスの『英国の礼拝と神学』が新たなる地平を開拓したと言われます。しかし「聖餐式文=ミサ典礼文」中心の礼拝学は、ローマ・カトリックの手法を打破することができなかったのです。マクスウェル、トンプソンらの研究も含めて、相変わらずこのパラダイムは継続していますが、アメリカ起源の多くのプロテスタント礼拝の研究にはふさわしくないことは明らかでした。
そこでホワイトは新たなパラダイムを提案します。行為と環境という2つの要素に注目しつつ、礼拝における7つのカテゴリーを提唱し、政治的メタファーによる伝統の分類を提示します。特に、自由教会の括りを分割し、フロンティア派と呼ばれるカテゴリーを提唱したことは、パラダイム転換の大きな独自要素です。この立場から、ローマ・カトリックとプロテスタントの礼拝の関係を見ると、決して交わらない並行から、近接しつつ並存する関係であることが示されていきます。一方で、プロテスタントの括りにおける分裂の方が、より深刻であることを浮かび上がらせます。
類書なき本書に触れることによって、ことに、フロンティア派の諸相を考察することをとおして、日本のプロテスタント諸教会の礼拝の現実がどのような事柄の変遷の結果としてあるのかを、その根源から明らかにすることができます。
『キリスト教の礼拝』
最後に、礼拝を構成する諸要素について詳述した、J・F・ホワイト『キリスト教の礼拝』(日本キリスト教団出版局、二〇〇〇年)をご紹介します。前掲書と同じ著者による、礼拝そのものについての研究書になります。研究のパラダイムについては、前述のホワイトの姿勢が反映されています。礼拝について歴史と共に神学的、牧会的に考察するこの書物をとおして、日々の礼拝がより一層意義深いものとなることでしょう。
これらの書物をとおして、礼拝に関わるすべての者たちが深められ、諸教会の礼拝を豊かにするために用いられることを切に願っています。


















