『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
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2017年9月号
出会い・本・人
信仰者の臨場性(森優)
本・批評と紹介
- 『戦時下のキリスト教主義学校』
榑松かほる他著、教文館―(播本秀史) - 『日本で神学する』
栗林輝夫著、新教出版社―(辻学) - 『エサルハドン王位継承誓約文書』
渡辺和子著、リトン―(中田一郎) - 『カール・バルトにおける神論研究』
稲山聖修著、キリスト新聞社―(崔弘徳) - 『焚き火を囲んで聴く神の物語・対話篇』
大頭眞一著、ヨベル―(藤本満) - 『宗教改革者たちの信仰』
金子晴勇著、教文館―(久米あつみ) - 『コンパクト聖書注解 コリント人への第一の手紙Ⅰ』
H.W.ホーランダル著、教文館―(芳賀繁浩) - 『カルヴァンの終末論』
吉田隆著、教文館―(加藤喜之)
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編集室から
今春観た映画「沈黙 サイレンス」に触発され、長崎県雲仙にあるキリシタン殉教地「雲仙地獄」を訪れた。ここは箱根の地獄谷や北海道の硫黄山と同じように、火山活動による熱泥が湧き、蒸気が噴き上がる異界である。熱気と硫黄によって草木も生えない環境で、1627年から四年間にわたり、キリシタン棄教の拷問が行われた。
実際に行くまで私は「雲仙地獄」が処刑地であると思っていた。しかしここは正式な処刑地ではなく、あくまで棄教させるための施設だったらしい。殉教者は多数出たが、それは拷問途中で死亡してしまった人である。結果としては同じことなのだが、ひと言「棄教する」と言えば放免されるのだから、身体的な苦しみ以上に心の葛藤が凄まじかったにちがいない。しかし多くのキリシタンは棄教するどころか、むしろいっそう信仰を強くしていった。役人たちは死亡したキリシタンの恨みを恐れ、二度と地上に戻って来ないよう遺体に石をくくりつけて熱泥池の中に沈めたそうだ。
かのキリシタンたちは、どうやって堅固な精神性を保てたのだろう。近世の日本には、宗教的プラクティスである「宗旨」や「宗門」はあっても、精神的結晶物であるビリーフ(信仰)はなかったという説がある(磯前順一『宗教概念あるいは宗教学の死』、東大出版会)。しかし十七世紀前半までは、日本にもビリーフがあったのではないか。その具体的証明が「雲仙地獄」である。なぜならキリシタンたちは、どのような責め苦に遭ってもビリーフを棄てることなく、この施設を四年で閉鎖させてしまったからである。(寺田)