『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
本購入の参考としてください。
2015年12月号
出会い・本・人
『犠牲』との出会い(柴崎聰)
対談
『エッサイの木』
マコックラン著、日本キリスト教団出版局―(沢知恵+池谷陽子)
本・批評と紹介
- 『書物の民』
M.ハルバータル著、教文館―(勝又悦子) - 『いま、震災・原発・憲法を考える』
近藤勝彦著、教文館―(森島豊) - 『中澤正七』
楠本史郎著、日本キリスト教団出版局―(高橋潤) - 『八木重吉詩撰集祈りのみち』
森重ツル子編、キリスト新聞社―(林あまり) - 『師父たちの食卓で』
ジュセッペ三木一著、ヨベル―(大頭眞一) - 『専制と偏狭を永遠に除去するために』
阿久戸光晴著、聖学院大学―(松原望) - 『スザンナ・ウェスレーものがたり』
大塚野百合著、教文館―(深町正信)
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編集室から
2015年1月と3月、日本基督教団信濃町教会にて中堅の新約聖書学者による講演会とシンポジウムが行われました。主究は、新約聖書の学問的探求と、教会の歩みがいかに手を結ぶか。先日、その講演と発題の全文がインターネット上に公開されました(http://bp-uccj.jp/tokusetsu/2015sympo.pdf)。
今回この記録を読み、教えていていだくことが多かったのですが、ここでは、廣石望先生(立教大学教授)の講演のごく一部をご紹介したいと思います。
講演の中で廣石先生が取りあげた本の一冊が、先頃チューリッヒ大学神学部を引退した組織神学者インゴルフ・U・ダルフェルトの『無償で──人間の創造的な受動性への想起』でした。題名からして、たいへん印象的です。
「何ができるか」を指標に人を序列化し、自分を他者の上に置こうとする、私たち。この「行いの法則」(ロマ3・27)を、ある方は、人にかけられた「呪い」だと言います。
この「法則」に対抗して、ダルフェルトは、人間が生を「受けて」初めて存在するという事実、そして人は(神を含む)他者から可能性を「賦与されて」初めて大きな創造性を発揮するということに注目します。つまり人は本質的に「根源的受動性」を有するということです。このダルフェルトのキーワードを、廣石先生は、プロテスタント原理の「聖書のみ」「恵みのみ」の今日的解釈へとつなげていきます。
論旨を追ううちに、「信仰義認」の教理が、私の中で生き生きと動き出す気がしました。うれしかったです! 「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに神の義が与えられる」(ロマ3・22)とは、人がこの「根源的受動性」を想起し受け入れる時に、自己の偶像化から解放され、再生することを言っているのかな、と思いました。 (土肥)