『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
本購入の参考としてください。
2015年2月号
出会い・本・人
神学的センスの涵養(森島豊)
本・批評と紹介
- 『福音的キリスト教 ハンディ版』
高倉徳太郎著、新教出版社―(鵜沼裕子) - 『キリスト教思想の形成者たち』
ハンス・キュンク著、新教出版社―(芦名定道) - 『記憶の癒し』
マイケル・ラプスレー著、聖公会出版―(山本俊正) - 『キリスト教の主要神学者 下』
F.W.グラーフ編、教文館―(栗林輝夫) - 『信仰のいろはをつづる』
ニクラウス・ペーター著、一麦出版社―(川村輝典) - 『アッシジの聖フランシスコの面影』
池利文写真/門脇佳吉編、教文館―(小中陽太郎) - 『アウグスティヌス神学著作集』 教文館―(片柳榮一)
- 『使徒行伝 中巻』 荒井献著、新教出版社―(加山久夫)
- 『叫び声は神に届いた』
W.ブルッゲマン著、日本キリスト教団出版局―(大島力) - 『グループで聖書を学ぶABC』
R.ヘステネス著、日本キリスト教団出版局―(小倉義明)
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編集室から
昨秋、奈良を旅した。近鉄奈良駅を降りて猿沢の池方面に向かうと、賑やかな商店街の中に日本聖公会奈良基督教会を見つけた。さあこれから世界遺産の建築や博物館を見に行こうと意気込んでいた矢先、最初に出会ったのが教会だったとは、やはり神の計らいであろう。人目もはばからず、教会前で祈りをささげた。人目をはばからなかったのは、私が恥知らずだからではない。以前、同じような経験をしていたからである。
20年程前のこと、所属教会のT牧師に引率されて、東京・原宿にあるセブンスデー・アドベンチスト東京中央教会の伝道音楽会に出かけた。T牧師は電車の中で聖書を読み始めると終点まで気づかないという熱血の女性伝道者であり、青年信徒がカバンの中に週刊誌を入れたまま礼拝に出席したことを、激しく叱責した清教徒であった。
東京中央教会は竹下通りの近くにあり、教会前の通りを通称、教会通りという。それを知ったT牧師、感動のあまり「教会通り」と記された標識の前で頭を垂れ、祈りを捧げ始めた。道行く人は皆、何事が起きたのか分からず、私たちを避けて通った。当時、バルト神学に凝り固まっていた私は、恥ずかしさのあまり体が凝り固まってしまったのは言うまでもない。
牧師は祈り終わると、「あなたがたも祈りなさい」と促す。「たとえ通称であっても、一般公道が教会通りと呼ばれるのは何と素晴らしいことか」と。言われてみればその通りで、反論もできず、恥も外聞もなく祈った。自分は公道上ではなく、通称、教会通りと言われる「直線通り」(使徒言行録9・11)に立っているのだと思いつつ。
奈良基督教会の前を通った時、その時のことが鮮やかに思い出された。南都仏教の本場にあって、厳然と居を構える教会への道が、奈良の「教会通り」と呼ばれるよう祈りたい。(寺田)