『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
本購入の参考としてください。
2014年10月号
出会い・本・人
マイスター・エックハルトと有村哲史君の思い出(阿部善彦)
本・批評と紹介
- 『沈黙の声を聞く』絹川久子著、日本キリスト教団出版局―(吉谷かおる)
- 『原発社会に生きるキリスト者の責任』藤井創著、新教出版社―(東海林勤)
- 『対照・太宰治と聖書』鈴木範久他著、聖公会出版―(今高義也)
- 『主が、新しい歌を』加藤常昭編、日本キリスト教団出版局―(森島豊)
- 『人を生かす神の息』近藤勝彦著、教文館―(岡村恒)
- 『ウェストミンスター大教理問答』宮﨑彌男訳、教文館―(坂井純人)
- 『新生の福音』『救いの歴史と信仰の倫理』大宮溥著、教文館―(吉岡光人)
- 『十六世紀の神秘思想』シュヴェンクフェルト他著、教文館―(深澤英隆)
- 『落ち穂ひろいの旅支度』芳賀力著、キリスト新聞社―(小島誠志)
- 『ペットも天国へ行けるの?』井上彰三著、ヨベル―(大和昌平)
- 『長老教会の源泉』ウィークス著、一麦出版社―(大石健一)
- 『キリスト教の本質』ハルナック著、春秋社―(西原廉太)
- 『復刻版 小説キリスト』賀川豊彦著、ミルトス―(佐藤研)
- 『ヘンリ・ナウエンに学ぶ』平山正実他編著、聖学院大学―(斎藤衛)
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編集室から
都会の喧噪を離れ、八ヶ岳の麓に来ている。標高も高く空気が澄んでいるので、容赦ない日差しにジリジリと焼き付けられることを感じる。
夜、空を見上げると、数えきれないほどの星が瞬いている。東京でも同じ空を見上げているのか、と疑ってしまうほどだ。星座を眺めながら、─矛盾するかもしれない─二つのことを想った。
一つは、人の存在はまるで星座のようだ、ということ。ひとりの人が存在するには、一体何人の人が関わっているのだろう。生物学的に考えれば、親や祖父母、そしてさらにその上の世代の人々がいなければ、“私”という人は存在しないことになる。血縁以外の友人や仲間といった存在も私たちには不可欠だ。
また、私たちは無意識のうちに、多くの芸術や思想に影響されつつ物事を考え、思いめぐらしている。自分が生きる場や時間とは全く異なるそれらのものが、自分を作り上げているのだ。
つまりひとりのひとは、人や歴史、思想といった、時間も場所もまったく異なる無数の星からなる集合体─つまり、星座─であるとも言えるのではないだろうか。
もう一つは、私たち一人ひとりは星であり、自分以外の他者と星座を作り上げるということ。存在するときや場が異なる星たちから星座がなっているように、私たちも、自分も見知らぬ星とともに、一つの世界を構成しているのだろう。
宮沢賢治の『温く含んだ南の風が』という作品のなかに、このような一節がある。
「……星はもうそのやさしい面影(アントリッツ)を恢復しそらはふたゝび古代意慾の曼陀羅になる」
定められたときと場に生かされている私たちは、他者であり、ときや場も異なる星たちと、どのような星座─曼荼羅─を描いてゆくのだろう。そして後世の人々は、“私”という星をどのような星とともに眺めるのだろう。 (かとう)