不都合な真実に向き合う渾身の証言
〈評者〉加山久夫
敗戦後七九年、あの戦争は一般に「太平洋戦争」と呼ばれてきたが、その根幹には、日本の中国侵略があったことはつい忘れられがちだ。意図的に忘却してきたのかもしれない。そのことでは教会もまた改めて問いかけられる。国策だった「満州国」への移民政策に教会もまた迎合したのだから。本書は著者石浜みかるさんが長年にわたりこの事実と向き合い、調査・研究した貴重な成果である。
日本が国策としてつくり上げた傀儡国家「満州国」(一九三二年誕生)関係については、戦後、記録や研究など膨大な資料が残されている。にもかかわらず、その事実はこの国と国民の集団的記憶として根を下ろすことはなく、時代の経過とともに忘れ去られてきた。そもそも歴史教育の中で教えることも殆どしてこなかった。
著者は「満州国」史の全体像を簡潔に伝えるとともに、国策移民としてそこに送り込まれた人々を注視し歴史を内在的に描き出している。このため著者は元移民の方々を各地に訪ね直接証言を聴くとともに、中国の現地にまで足を延ばしておられる。
さらに、移民政策の実現のために重要な役割を果たした人物、その渦中で葛藤を抱えながら、結局、国策に迎合していった人びとについても詳述。この複雑な歴史の実像を重層的に捉えて紹介した本書を多くの方々に読んでいただきたい。
本書は、以下の七章から構成されている。序章 戦後、忘却された〈疼しさ〉/第一章 なぜ開拓村は襲われたのか/第二章 海外移民と満鉄時代/第三章 移民と「満州国」建国/第四章 「移民」から「開拓団」へ/第五章 キリスト教開拓団/終章 「大陸への移民史」の終焉/あとがきにかえて──「日本の半分」を知らない現代日本人
「満州国」建国当時、関東軍による侵略はすでに中国の奥深くにまで及んでおり、そこを拠点にして、地下資源や食糧の供給源の獲得をめざして百万戸の移民を送る周到な計画がなされていた。(第三章) それが「五族協和」「王道楽土」のロマンある美名に隠された実体であった。そのなかに二次にわたる「満州基督教開拓村」も参加することになる(第四章および第五章)。賀川豊彦の訪満(一九三八年)がその端緒となった。
満州各地を案内された賀川はその広大な土地や建国の理念にロマンを感じ、ぜひキリスト教開拓団をという要請に応えたのである。日本基督教連盟は賀川を委員長とする準備委員会を設立、後に日本基督教団に引き継がれた。その結果、敗戦にともなう嵐のなかで実に悲惨な運命が待っていたのである。多くの犠牲者がいたなか辛うじて帰国できた方々の戦後も苦難の連続であった。
賀川豊彦記念松沢資料館はこの事実を広く伝えるべく、二〇〇六年、関連資料を発掘した戒能信生牧師および石浜みかるさんのご尽力により、特別展を開催。初日には日本キリスト教協議会および日本基督教団の総会議長をお招きし、神と参集された元移民の方々の前で、謝罪の礼拝をささげた。本書が賀川事業団雲柱社の出版助成を受け日本キリスト教団出版局から刊行されたことは大変喜ばしい。
加山久夫
かやま・ひさお=明治学院大学名誉教授