現代世界で宗教にしか担えない働きとは? 〈評者〉佐藤啓介
本書は、二一世紀という「脱宗教化」の時代、そして、「脱宗教化」後の時代における宗教のあり方を、主に社会科学的な観点から考察した一冊である。二〇一八年に聖学院大学にて開催されたシンポジウムをもとにした書籍であるが、学術書であると同時に一般書でもあらんとする狙いをもっている。編者である社会学者の土方透氏が全体を企画したものであり、社会学者・故ニクラス・ルーマンの未発表論文「宗教は不可欠か」の邦訳が掲載されている点も、注目すべきだろう。本書全体の狙いや意図を理解するためには、土方氏が執筆した複数の章を、本書全体を貫く縦軸として理解していくとよいだろう。表題にある「宗教的コミュニケーション」という語によって、読者は「宗教間対話」の議論を想起するかもしれない。だが、本書のユニークなところは、諸宗教を語る、という視点をあえて放棄することで、宗教間対話とは異なる宗教間コミュニケーションの可能性を探ろうとしている点にある。「宗教を問うことではなく……宗教から問う、それも徹底して一つの宗教に定位して問うことによって、自身の原理主義的な閉鎖性を自ら開いていく途を示唆する」(一四六頁)ことを、現代的な宗教間コミュニケーションの始まりに据えようとする。また、しばしば、宗教間対話論の問題点として、宗教「間」対話にのみ関心が向き、「宗教と世俗の間」の対話に開かれていないことが指摘されてきた。本書は、そうした問題に対する一種の社会学的応答でもあり、宗教と世俗社会との相克や交渉もまた、その機能に着目するならば、実質的には宗教的コミュニケーションの一種として考察しうると提案する。このように、機能社会学の観点から、古典的な宗教間対話論とは異なる議論の枠組みが提示されていることが本書の魅力であろう。そのうえで、自らの宗教内部から他者(他の宗教やその等価物である世俗社会)へと語りかけていくコミュニケーションのうちに、「宗教でなくては担うことのできない働き」を見いだしていくことが、本書の目標となる。幾人かの執筆者は、その機能を政治的・社会的次元における「利他性」の促進に見いだし、また土方氏は、宗教が「豊饒なフィクション」としての死後生の側から、私たち人間が生きる現在の生の意味を根源的に問うてくる点にその機能を見いだしている。
「宗教間対話」論以後の現代、そして、近年宗教研究では避けて通ることのできない「ポスト世俗化」の現代という状況を適切に見据えながら、「現代社会において宗教が必要かどうか」というありがちな問いを、社会学的な「機能」に着目して翻案し、「現代社会で宗教(およびその等価物)にしか担うことのできない働きを見いだすことができるか」と問い直した点に、本書の魅力と意義が存在すると評者には感じられる。それは、ウェーバーやルーマンの議論を深く理解する社会学者が執筆陣に並ぶ本書の優れた特長であり、日本国内のキリスト教学において欠落しがちな社会学的視点からの重要な問題提起でもあると思われる。
佐藤啓介
さとう・けいすけ=南山大学人文学部准教授