子どもに聖書を語るための最良のガイドブック
〈評者〉片山知子
著者は、キリスト教教育の領域で多くの実績を持ち活躍してこられた。筆者はかねてから、著者のキリスト教教育およびキリスト教保育への批判的思考による示唆に富む発言に共感させられている。本書は、著者が養成校での授業者としての実践をまとめられた著書ということで興味深く、関心を持っていたこともあり、早速読ませていただいた。
先ず表題「聖書のお話を子どもたちへ」から、私は自分自身の体験を思い出させられた。教会学校の校長先生の語り口調、聞き手の反応を確かめるような眼鏡の奥で光るやや目じりの下がった眼の印象、そして神様や、イエス様のことをずいぶん良く知っている人だなあと思いながら木造の礼拝堂の座布団が置かれた木の長椅子にちょこんと腰掛けていた、六十年前の私の姿である。
今、聖書のお話を聞くことのできる子どもは、どれだけいるのだろうか。そして教会学校やキリスト教保育の保育施設で、子どもに聖書のお話に出会う恵みを伝えることのできる語り手は、どれだけいるのだろうか。
幾つものキリスト教保育の園や教会の方々から、かつては子どもに聖書のお話をなさる優れた語り手がいたという思い出をうかがうことがある。それを辿ると、様々な物語を子どもに語ることが大事にされてきた歴史的背景が重なる。ところが今の時代では、物語る行為自体の価値が薄れていることも否めない。なおさら聖書の話は難しいものという印象を持つ学生や保育者は多く、それが今や普通だと思わなくてはいけないのが現実である。
そういう現実に向けて、著者は授業者としての経験から得られたであろう平易な文体で語りかける。本のサイズも手頃で、一章あたりの文字数も多すぎず、その中でキリスト教信仰の本質を伝える篤い姿勢が示されている。キリスト教教育の専門家である著者ならではの労作であろう。
著者の師がスー・アルトハウスであること、さらにレギーネ・シントラーに学ぶと表明しての本書は、キリスト教保育を専門とする筆者にとっても、ひとつの原点を再認識させられる恵みともなった。そして授業を受けた学生による微笑ましい学びの成果が掲載されていることは、本書を手にした同世代の読み手から共感を得られるだろう。
教会とのつながりを持たない、多数のキリスト教保育を担う仲間にも本書を勧めたいと思う。学生だけではなく、今のキリスト教保育の実践を担い支える多くの保育者たちが、その保育施設に勤めることにより初めてキリスト教と出会うのである。そういう方々に本書はとてもよいガイドブックになるだろう。保育者たちが子どもに聖書のお話を語ることを〝難しいこと〟として及び腰にならず、楽しんで取り組み、聖書のお話の輪が広がることを期待したい。
最後に、著者が大学の授業を振り返って本書で語る言葉を紹介する。「書き手には、大学で初めてキリスト教と出会ったという学生も多く含まれているのですが、その『聖書のお話』に、わたしは圧倒され、気づかされ、感動します。聖書が誰かによって物語られることで、今まで思いもしなかった新しい考えが、光がさすように与えられる──授業で毎年のようにわたしはそれを体験させてもらっているのです」。筆者が特に深く共感した一節である。
片山知子
かたやま・ともこ=キリスト教保育連盟理事長