読者の心に〈霊性を呼び起こす〉物語集
〈評者〉佐藤貴史
キリスト教思想史はおもしろい、でも難しい──このように思う人こそ、ぜひ手に取ってほしい著作である。本書は、著者が長年の大学講義で実践してきた方法に基づいて構想されている。難解な概念や思想をいかにして学生が理解できるように伝えるか。教壇に立つ者はつねにこの問いを意識していると思うが、著者は歴史のなかに埋もれた「思想史的な宝」(三頁)からとくに「物語」を取り出し、学生に向かって「例えば」と語りかけながら対話を開始する。「例話」としての物語は単にわかりやすいだけではなく、「倫理的・教育的効果」(七頁)も備えているという。
本書が扱う物語はキリスト教に限定されていない。古代ギリシアからルネサンス、近代文学から現代思想にいたる歴史から多くの物語が選ばれ、著者の簡潔な解説が添えられている。しかし、本書の主役は解説ではなく、あくまで物語である。著者は、「訓話・講義・説教など」(四頁)の準備において本書が役立つことを願う。
本書はたくさんの物語で賑わっているが、ここでは二つだけ紹介しよう。「キリスト教古代の物語」では有名な「アウグスティヌスの回心物語」が扱われている。三八六年の暮れ、アウグスティヌスは健康状態がよくないなか、教授職、世俗的職業への野心、そして結婚への意志を放棄することを考えていた。そのような苦悩に直面する彼に回心の瞬間が訪れる。「魂のかくれた奥底から、自分のうちにあったすべての悲惨がひきずりだされ、心の目の前につみあげられたとき、恐ろしい嵐がまきおこり、はげしい涙のにわか雨をもよおしてきました」(一六八頁)。著者は、ここにアウグスティヌスの「心」のドラマの始まりを見る。魂のうちに隠されていた悲惨が「心の目の前に」つみあげられたとき、「神の言葉を聞いて信じる」(一六九頁)アウグスティヌスの「霊性」がこの物語の前景に現れた。そのとき、「とれ、よめ」の声が聞こえ、彼は聖書を開く。アウグスティヌスの周りにあった「疑惑の闇」はすっかり消え去ったのであった。
「近代思想とキリスト教」では、ドイツ敬虔主義の物語として、ゲーテの著作に収められている「ツィンツェンドルフ伯爵のヘルンフート派に入信した女性の信仰の記録」(二五〇頁)が紹介されている。「わたしの魂は、ある引力(Ein Zug)によって、イエスがかつて最期をお遂げになった十字架の方へ導かれました」(二五〇頁)。この女性は「わたしたちの心がそこにいない恋人にひかれるような」力を受け取ったのであり、著者はそこに「感性や理性を超えた心の深み」にある「霊性」を感じる。
本書は、「思想史的な宝」が詰まった物語集である。とはいえ、著者はやみくもに物語を選んで詰め込んでいるわけではない。本書は、著者の長年の研究そして講義を踏まえて叙述された〈霊性〉の思想史であり、読者の心に〈霊性を呼び起こす〉物語集である。この意味において、例話としての物語がもつ「倫理的・教育的効果」や「訓話・講義・説教など」において役立つようにという著者の願いは本書のなかで一貫している。
「キリスト教思想史は物語の連続である」(三三八頁)。そうであれば、キリスト教思想史はおもしろいに決まっている。「思想史的な宝」を探すつもりで、教会、教室、もしかしたら寝室で本書を開いてほしい。
佐藤貴史
さとう・たかし=北海学園大学人文学部教授