伝道の労苦の結晶
〈評者〉三浦陽子
加藤常昭著
四六判・384頁・本体3300円+税・教文館
二〇一五年六月七日。第一主日の早朝、携帯電話が鳴った。ぎくりとした。「何が起きたのだろうか?」。「加藤です」。先生からだった。「起き上がれない、動けない、迎えに来てくれないか」。その日、安中聖書教会は、講師として加藤常昭先生をお迎えし、歓迎礼拝(伝道礼拝)を予定していた。その前日には教会員の励ましのために「一日修養会」でご奉仕していただき、教会近くの温泉宿にご宿泊いただいていた。
かけつけると、先生は横たわっておられた。昨夜、温泉へ行く途中で石段を踏み外されて転倒したそうだ。とっさに私の頭には「果たして今日はどうなるのか? たくさんの案内を地域に配布し、案内をしてしまっている」との思いがよぎったが、とにかく「教会へ行きたい」と言われる先生をやっとの思いで車椅子にお乗せした。その日、加藤先生は予定通り説教のご奉仕をしてくださった。講壇に立つことはできなかったが、車椅子に座りながら聖書だけを膝の上に置いて説教された。その姿が今もくっきりと目に焼き付いている。
実はその時の説教が、この説教集に収められているのである。説教の最中からだんだんと高熱になり体の痛みも強くなっていったそうだ。次の日の診察で、足の指の骨が数本折れていることが分かった。これはそのような非常事態の中で語られた説教である。
本になった説教の文字を読んでいるだけでは、その時の説教者の肉体の痛みや辛さは伝わってこない。もちろん伝わらなくてもいいと思う。しかし私はその日、加藤説教の真髄を発見し確かに聴いたと強く記憶している。先生は「どうしても伝えなければならないこと」を明確に語ってくださった。しかも聴衆にしっかりと向き合い、温かい配慮をしながら語られた。お体の苦痛を微塵も見せなかった。約五〇分も。
この説教集には、先生が隠退教師になってから様々な教会に招かれて語った説教が一七篇収められている。教会の状況は大いに異なる。この説教集で非常に興味深いのは、教会によって先生の語り口が変わるのを味わえることである。同じ聖書テキストの説教があるが語り口が違うのである。聴衆を黙想し、その日に与えられた言葉を神の言葉として生き生きと取り次いでおられる。まさに生きた説教なのだ。
あとがきで加藤先生は、この説教集で扱ったガラテヤ・エフェソ・フィリピの信徒への手紙、テモテへの手紙一、ヘブライ人への手紙、ヤコブの手紙、ペトロの手紙一をもって、「使徒たちの手紙は、その伝道の記録でもあります。私どもの説教も存在を賭けて戦うことを求められる伝道の労苦の結晶です。共に戦いましょう」と書いておられる。この説教集は、加藤先生が使徒たちの背を追いながら(いや使徒たちと共に)日本の各地を巡り伝道した記録とも言える。さらに、今日、厳しい伝道の最前線でこの務めに懸命に戦っている説教者たちに、信徒たちに「共に戦いましょう」との力強い励ましの声が響く説教集である。
三浦陽子
みうら・ようこ=日本同盟基督教団安中聖書教会牧師