えろはげじじいと囃したる
〈評者〉佐々木潤
住谷眞先生。このお名前は、すみたにまこと、とお読みします。この人はお若いころからたいへんな物知りでした。学生時代、私も同じ教会に通っていたことがあるので、毎週同じ電車に乗りながら、何でも知っているこの人のちょっとした一言を手がかりに、たくさんのことを学んだものです。伝道開始の初年度、新婚の先生方の牧師館を早朝に訪ねて朝食を出していただくという、たいへんご迷惑な訪問をしたことがあります。
あれから四十年。記念されての出版なのですね。私が持っている協会共同訳聖書とぴったり同じ厚さです。あちらは黒表紙、こちらは白表紙。二冊を並べて、ようやく読み終わりました。
見開き一話ずつ組まれた講話集です。旧新約あわせて三二七話。それだけの数の窓であり、ひとつの大きな窓でもあります。各ページを開くと、その聖書箇所の向こうに広い世界が見えます。砲弾の爆音、雑踏のにぎわい、燕のさえずり、少女たちの叫び。いろいろ聴こえてきます。
その中をまっすぐに静かにささやくような声が届いてきます。
本書は、聖書を読む人のための案内役です。一話ごとに完結しているので、どこからでも読めます。ことわざも、むかし読んだ小説の一場面も、聞いたことのある歌詞も出てきます。古代の偉い人の言葉と並んで、さっき観たニュースの出来事の記憶も交差します。キリスト教世界内外の隔てもない膨大な知識を惜しみなく駆使して、しかもそれらが散らばることなく、目の前にある聖書箇所のいちばん大事な一点を読み取ることへと集約していくさまには、息をのむばかりです。それがこの本の初めから終わりまで、各ページに繰り返されているのです。40年に、単なる時の長さではなく、厚みと深みを感じさせます。
住谷先生がこれまでお出しになった書物には、ダンテの『神曲』を扱ったものもあれば、歌集もおありですが、たぶん牧師たちの書斎にあるのは『烈しく攻める者がこれを奪う』という二冊の論文集です。聖書の難所、あるいは気にも留めなかったような箇所を深掘りしているので、説教準備に刺激をくれる面白い論文ばかりなのですが、その文章も装丁も書棚の群を抜いて美しい。いわゆる神学書っぽくありません。その鋭い知見が、この講話集にわかりやすく披露されていて、私たちの読み方を感度のよいものにさせてくれています。
透明感のある文章が心地よく、清潔です。中には性的テーマもためらわず取りあげられていて、それがまた知るべきことへと向かって行きます。チッポラとモーセのやりとりのところのように、説教壇から語られたら皆どんな顔をして聞くのかと思うような箇所も、私みたいに照れて口ごもると聴く方もかえって困るだろうものを、この人が説くと全然いやらしくないのです。
「ガザ」は必読です。「命の木」もイメージを思い浮かべながら丁寧に読みたいところです。私がとくに多くを示されたのは第二コリントについてのいくつかの講話でした。
そしていちばん気に入ったのが、エリシャについての講話「言葉の暴力について」。そこには、こんな歌も出てきます。
われを見て えろはげじじいと囃したる 子らを前にしエリシャになれず
なお、本書の風変わりなタイトルは、次の歌から採られています。
神さまの エンドロールのかたずみに あつたらいいなわがクレジット
こちらから開いている窓は、向こうからこちらに開かれた窓でもあります。すべてを神さまはご覧になって、すべてを知っていてくださいます。