信徒や若い世代に学んでほしい!議論してほしい!
〈評者〉牧田吉和
「いいよ、この本」。これは著者の高校生のお嬢さんの読後の感想であったことが、後書きの冒頭に記されている。評者が今回あらためてこの改訂新版を読み直して抱いた感想もまったく同じである。「いいよ、この本!」であった。
なぜ、この本は良いのか。本書は「十戒」を扱っている。多くの場合、十戒は罪を明らかにし、キリストへと導くという働きが強調される(三二頁)。この場合には、十戒自身は建設的な意味を持ちにくい。しかし、本書は律法のそのような働きを認めつつも、律法の本来の働き、「救われた者としての感謝と献身の生活への指針」としての役割を強調する(三一─三四頁)。十戒は「自由にのびやかに生きるための指針」なのである。表題「自由への指針」は文字通り本書の根本的意図を示している。
このような本書の方向性は「ハイデルベルク信仰問答」の第三部「感謝について」で展開される十戒の取り扱いと重なっている。同じような方向で十戒の講解をする書物も少なくない。けれども、本書は「自由への指針」としての十戒理解を明確な神学的構造において包括的視野の中で展開している。律法に従った単なる個人的なキリスト者の生き方の指針にとどまらない。創造から終末に至る「大きな神の歴史的計画の中で、自由に生きる」こと、「キリスト教的世界観、歴史観、人生観を与え」、「世界と歴史を形成するキリスト者が生まれること」が目指されている(八、三五頁)。この視点での叙述の徹底化が、本書をユニークなものにし、優れた書にしているのである。
本書は背後に堅固な神学的理解を持ちつつも、高校生や大学生という若い世代、また一般信徒の方々にも十分に理解できる言葉で分かり易く、しかも具体的に語られている。例えば、本書が第二戒を扱う場合にも「戦いに生きるキリスト者としての倫理」として偶像礼拝の問題も広い視野の中で扱っている(五二頁以下)。特に教会と国家の問題など社会倫理的課題を具体的に論じている。しかも、単なる社会派のような扱いではない。福音派の陥りやすい信仰の内面化に警戒しつつ、主の日の礼拝を拠点とし、神の言葉の戦い、祈りの戦いとしての道筋を示している。第三戒を扱う場合にも、「礼拝が示す自由への指針」として、「神の名」をめぐる戒めを「礼拝と生き方」として礼拝論的に展開している(七六頁以下)。教会論的意識も明確である。象徴的なのは、第七戒の「姦淫してはならない」の取り扱いである(一三九頁以下)。抽象的には論じていない。若い世代が悩むであろうこと、また夫婦関係の生々しい問題も勇気をもって扱っている。一番尋ねたい問題から身を避けていない。改訂新版では「SOGI、セクシャルマイノリティについて」も書き加えられている(一五六頁)。このような取り扱いを知るだけでも、本書を共に学ぼうとする意欲が湧くであろう。
本書はさっと読んで終わる書ではない。教会の各グループで、特に若い世代に読んで欲しい。学び合い、議論して欲しい。今回の改訂新版には各章の終わりに「意見交換のために」として設問が設けられている。語り合いの助けになるであろう。この点でも、著者の教育的配慮は行き届いている。
牧田吉和
まきた・よしかず=日本キリスト改革派宿毛教会牧師