繰り返し配置され、語り直されている好著
〈評者〉川上直哉
春になりました。私たちの住む「北国」では、冬から春への劇的な変化が体感されます。その際、とりわけ、冬の終わり・春の始まりは、つらく厳しいものとなります。気圧の変動幅は大きく、持病をお持ちの方にはつらい季節です。高齢者の逝去も続き、花粉症もある。そして「3・11」も、やってきます。
その「冬の終わり・春の始まり」の時、教会暦は「レント」を迎えます。古いゲルマンの言葉で「春」を意味する言葉だそうです。レントはイースターまでの5週間と4日を数えます。その毎日を、「十字架の道行き」に沿って過ごします。─そうしたことは、知識として知られていることです。でも、「知っている」だけでなく、実際にその通り「やってみる」と、それは本当に、豊かな発見に満ちた信仰の養いとなります。肉体の弱さと悲しみの思い出の中で、慌ただしく年度が切り替わり、離別の寂しさと新しい出会いの不安に向き合う。私たちの「レント」の日々は、確かに「十字架の道行き」を辿るために、まことにふさわしい。でも、それは「レント」を実践しないと、決して分からないことでした。
『イエスの示す道』は、そうした実践のための、とてもありがたい小著です。この小著は、ヘンリ・ナウエンというオランダ出身のカトリック司祭の「アンソロジー」です。「アンソロジー」というのは、もともと「花束」を意味するそうです。ナウエン司祭が書き残した言葉たちを「花々」に見立てて、それを少しずつ集めて「花束」にしたものが、この小著です。「レント」の日々に少しずつナウエン司祭の言葉を読み、霊的に養われること。そのことを目指して「一日一章」を編んだアンソロジーが、この小著でした。
私はナウエン司祭のことをほとんど知りません。それで、この小著についてのレビューを探してみますと、すぐ、いくつかのことがわかりました。この小著は1990年にドイツ語で出版されたものでした。英語で版を重ねているようです。「もてなし(ホスピタリティ)」「祈り」「許し」「愛」というテーマが、レントの週ごとに、繰り返し配置され、語り直されている好著である、とのことでした。
なるほど、例えば、「受難週の木曜日」(今年で言えば、4月6日)の所にはこう書いてありました。
「大切なのは、従うよう招いてくださっている神の愛の呼びかけに、いつも耳をすませていること、すなわち、心を集中して聴くことなのです…具体的には、教会の典礼行事に参加するということです。待降(降臨)節、クリスマス、受難(大斎、四旬)節、イースター、昇天日、聖霊降臨節など、これらの期間や祝祭日は、イエスをもっとよく知り、教会において主から賜っている聖なる命とますます密接に結ばれることを、人々に教えているものです」。
何気なく・あっという間に過ぎる日々の移ろいに、神様の声を聞く。御言葉の響きを聴き取る。そうして、日常は祈りの場となる。この小著の中で、聖句への黙想はしばしば、そのまま祈りとなって行きます。
「日本の教会は、勉強するばかりだ」と、最近も、ある方に叱られました。確かに、そうかもしれません。ナウエンさんの言葉に沿って、祈りへと励もう。祈りの中でイエスと結ばれ、良い実りを賜ろう─そう思いながら、この小著と共に、今年のレントを過ごし、祝された私でした。
川上直哉
かわかみ・なおや=日本基督教団 石巻栄光教会主任担任教師