本書によって、イザヤ書全体の構造やストーリーがわかるように
〈評者〉藤掛順一
本書は、イザヤ書第一章から三九章、いわゆる「第一イザヤ」を読むための手引きです。
イザヤ書には、「インマヌエル預言」(七章)をはじめとして、イエス・キリストの到来の預言として読むことができる箇所がたくさんあり、私たちはそれらを特にアドベントからクリスマスの時期に喜びをもって読みます。また「ぶどう畑の歌」(五章)は、ぶどう園を題材とした主イエスのたとえ話の土台となっています。「彼らはその剣を鋤にその槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず もはや戦いを学ぶことはない」(二章四節)は、ニューヨークにある国際連合ビルの広場の壁に刻まれているそうです。悲惨な戦争が続いているこの世界に平和の実現を祈る私たちを導く希望の言葉です。「その時、見えない人の目は開けられ 聞こえない人の耳は開かれる。……荒れ野に水が砂漠にも流れが湧き出る。……主に贖い出された者たちが帰って来る。歓声を上げながらシオンに入る。その頭上にとこしえの喜びを戴きつつ。喜びと楽しみが彼らに追いつき 悲しみと呻きは逃げ去る」(三五章五~一◯節)も、終末における救いの希望を語っています。このようにイザヤ書は、(第一イザヤだけでも)「珠玉の言葉」の宝庫であり、新約聖書に引用されている言葉も多数あります。しかし私たちはそれらの「珠玉」を断片的に眺めるばかりで、イザヤ書全体の構造や繋がり、各部分の結びつきを捉えることができずにいるのではないでしょうか。つまり、イザヤ書は私たちにとって、様々な宝石が雑然と入れられている宝石箱のように感じられているのではないでしょうか。
本書は、その宝石箱の中身を分類し、整理し、どのような宝石がどこにあり、それぞれがどのように繋がっているのかを示してくれます。わが国におけるイザヤ書研究の第一人者である著者だからこそなし得る業です。本書によって、雑然としたイメージだった宝石箱に仕切りが設けられ、どこにどのような宝石がどのような輝きを放って存在しているのかがはっきりします。そして同時にこの宝石箱が、全体としてあるストーリーを持っており、メッセージを持っていることが示されるのです。
さらには、第二イザヤ(四◯章から五五章)、第三イザヤ(五六章から六六章)との繋がり、その先取りも第一イザヤの中にあることが示されます。時代も書いた人も全く違う三つの部分から成っているこの書物ですが、やはりその全体が「イザヤ書」と呼ばれることが相応しいことが分かるのです。
イザヤ書全体の中心的主題、つまり全体としてのメッセージは「神の王的支配」であることを、本書は私たちにはっきりと示してくれます。イザヤの時代のユダ王国が、周囲の様々な国々との関係の中で翻弄され、右往左往していたのと同じように、現在の私たちも国際政治の複雑な絡みの中で「森の木々が風に揺れ動くように動揺」(七章二節)しています。その私たちに、イザヤの言葉は今も響いています。「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはならない」(七章四節)。イザヤがそのように語ることができたのは、「神の王的支配」の実現を主なる神から示されていたからです。
その王的支配は、死の力に対しても及ぶ、とイザヤは語っています。「主はこの山で……死を永遠に呑み込んでくださる」(二五章七~八節)。パウロが「最後の敵として、死が無力にされます。……死は勝利に呑み込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前の棘はどこにあるのか」(Ⅰコリント一五章二六、五四~五五節)と語ることができたのも、このイザヤの預言のゆえです。本書は、イザヤ書に固有のメッセージを明らかにすると同時に、それが主イエス・キリストによる救いを指し示すものとなっていることをも私たちに示してくれるのです。
〔著者大島力先生が十二月九日に逝去されたことを聞き、衝撃を受けました。ご遺族に主の慰めを祈ると共に、「死を永遠に呑み込んでくださる」(二五章八節)主のみ手に先生をお委ねしたいと思います。下巻の原稿はできているそうです。先生の遺作の出版を待ち望みます。〕