教会建築とは何かを楽しく教えてくれる書物
〈評者〉関川泰寛
田淵諭は、不思議な人である。建築家でありながら、牧会者のようでもある。パウロも、伝道者の仕事を建築士になぞらえて、「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。……」(Ⅰコリント三・一〇)と述べているから、その印象はあながち間違ってはいない。
牧会者と建築家の仕事が似ているのは、考えること、実践すること、人と出会うことなどたくさんの仕事をこなしつつ、それらが最後に明るみに出されるところにある。その仕事は、かの日に吟味される。教会は、教会員の交わりにおいても、礼拝堂や牧師館という建物においても、具体的な形を持つ。机上の空論を語るだけの建築家や牧師は、グノーシス主義者か好事家に過ぎず、その名に値するとは言えないだろう。
『光と祈りの礼拝堂』は、建築家田淵諭氏の四〇年に及ぶ教会設計の記録の集大成であるとともに、建築の素養の無い私のような人間にもわかりやすく、しかも楽しく教会建築の何たるかを教えてくれる書物である。冒頭の「教会設計をはじめるにあたって」という文章を読むならば、そのことが十分にわかるであろう。
部活動に明け暮れていた青年が、建築を志すようになり、遠ざかっていた母教会に戻って来て、再び教会を経験するところから、田淵諭氏の教会建築家としての歩みが始まる。彼の信仰の原点への回帰が、教会建築の仕事と結びつく。教会を建てるという行為の中に、主の御言葉が込められていると語る田淵の言葉は、建築家の実存がかかっている。
「どんな礼拝をするのか、どんな祈りをするのか、どんな伝道をするのか、どんな学びをしていくのか」。これらの問いの具体化が教会建築だと田淵は語る。
教会建築を始めようとする時、どれだけ予算があるのか、どれだけ献金が集まるのか、会衆の希望は何かなど、私たちの側のニーズだけが優先してしまうのではないだろうか。もちろん、予算も工期も礼拝堂の使い勝手もすべて重要である。しかし、私たちの教会は、神の言葉が聴かれ、聖礼典が行われるところである。そのような信仰に関わる認識が、プロテスタントの礼拝堂を設計する基底にある。建築家としての力量と信仰者としての見識を見事に融合させて、田淵氏は数多くの美しい教会堂建築を生み出してきたのである。
本書には、田淵氏の設計になる三〇余の教会の資料、写真とともに、「教会私論」と題した教会設計に関する理念や思想、加えて、田淵氏が折に触れて世界の諸教会を訪ね歩いた時に描かれた美しいスケッチと文章も収められている。読者はどの部分からでも読むことができる。読み物としての楽しさとともに、教会建築の幻を持つ諸教会と教会員にとっての必須の情報が満ちている。教会にぜひ備え付けて、会堂建築が始まる前に、すべての教会員が教会建築とは何かを本書によって共有できるなら、素晴らしい会堂建築への第一歩となることだろう。
主の日ごとに、田淵諭氏の設計した礼拝堂で礼拝を捧げながら、時間と共に変化する光の中で、変わることのない御言葉を聴き、祈りが満ちる経験は何にも代えがたい恵みである。
関川泰寛
せきかわ・やすひろ=大森めぐみ教会牧師