誰もがこの小さな本の一部だ
〈評者〉志村真
「平和をつくる者とならずにキリスト者でいることなど、誰にもできない。私たちは平和をつくる生へと呼ばれている」。
ヘンリ・ナウエンは本書において「平和をつくる人々のための霊性をうち立てようと試み」ています。イエスの時代以降、「祈りと抵抗と共同体は、キリスト者の生にとって欠くことのできない要素」となりました。そこで彼は、「祈り」「抵抗」「共同体」と三つの章を立てて述べていきます。その際、ナウエンは聖書に聞きながら書き進めたのだと思います。参照を含む聖書の引用は、八七回に及びます。その中で複数回引用されている聖句が五つあります。
そのうちの最初は、本書の言わば主題聖句である「平和を造る人々は幸いである」(マタイ5・9)です。
それでは、残る四つをたどりながら見てまいりましょう。
「悪魔が、ほえたける獅子のように、誰かを食い尽くそうと歩き回っています」(一ペトロ5・8)が三回引用されています。これはナウエンの時代認識と関わっています。
序文を記したジョン・ディア神父によれば、本書は「一九八〇年代前半、高まる冷戦の緊張のさなかで、教会と平和運動のために」書かれました。米ソが大量の核兵器をもって対立していた時代です。また、「ヒロシマ」「トライデント潜水艦」が何度も出てきます。「核によるホロコースト」の象徴です。核兵器保有国が九ヶ国となり、複数の国が核の使用に言及して世界を脅す今日、私たちはナウエンと厳しい時代認識を共有せざるを得ません。
次に、ナウエンは「いつも目を覚まして祈っていなさい」(ルカ21・36)を二回引いて、「平和をつくる人は祈る」と言い、「祈りそのものが平和をつくる働きである」とまで語ります。
その上で、キリスト者は「戦争と破壊のあらゆる力に断じて抵抗しなければならない」とナウエンは訴えます。そして、「キリスト者の抵抗は非暴力である」と明言します。彼は「お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう」(マタイ26・53)を二回引いて、キリストご自身が暴力抵抗を退け、非暴力であったことを示します。ですから、「キリスト者は非暴力である」のです。
平和を求めて祈り、抵抗する中で苦しみに直面するとき、キリスト者はくじけることはありません。なぜなら、キリストと共に神の家に住んでいるからです。キリストはこう励まします。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」(ヨハネ16・33、三回引用)。
ナウエンは続けます。「この世界で生き続けるためにどうすればよいだろうか。その答えはとてもシンプルだ──共に生きるのだ」。平和をつくる働きが単独でではなく共同体によって担われるとき、「抵抗の共同体は耐えぬくことができ」ます。「平和をつくるための働きは、私たちが共に生きて取り組むときだけ持続可能になる」のです。
この良書の翻訳権を取得し出版してくださった日本キリスト教団出版局と編集者、訳者と解説者のエキュメニカルな取り組みに、心より「すばらしい!」と申し上げたい。
志村真
しむら・まこと=日本基督教団 飯塚教会・直方教会牧師、田川教会代務者