子どもたちが、再び飛び立てるように
〈評者〉大澤秀夫
この本はエッセーと対談の二部構成からなります。前半部には著者である白旗さんが出会った、たくさんの若者たちの名前が出てきます。レン、チカ、カツヤ、タカシ、サヤカ、ジュン、ユウ、セナ、ツヨシ、マサ、ナオヤ、ノノカ、サッちゃん、ユーユ、ユキ、テッちゃん、サヨ、ハルノ、マコト、ナナ、エリ。名前は仮名ですが、それがAでも、Bでも、Cでもなく、名前であるところに著者の思いが込められています。どの一人もユニークな人格であり、かけがえがないひとりなのです。
白旗さんは四十年以上にわたって子どもたちに関わってきました。二〇一〇年に、行き場がない子どもたちの〝家(とまり木)〟を創りたいとの思いから「青少年の居場所 Kiitos(キートス)」を開設しました。中学生から二十代までの生きづらさや障がいをかかえる子、家庭がどういうものかを知らない子どもたちが集まってきます。
レンもそのような一人です。生まれてすぐ乳児院に預けられたレンは三歳で児童養護施設へ、その後は里親、養護施設を繰り返しながら育ちました。キートスに通うようになったある日、「レンを助けてほしい」と友だちのユウから白旗さんに電話が入りました。駆けつけると手首を傷つけて自死を図ったレンが見つかったのです。
キートスにやって来る子どもたちは、皆それぞれに困難を抱えています。白旗さんはいつも「なぜ?」という思いにかられますが、その度に子どもたちの心が開くまでじっと待つ覚悟を新たにします。「そのうちに、音信不通になりました」、「カツヤと出会ってから約七年」、「それから十年ほどたったある日」と書かれているところに、白旗さんが子どもたちを「待ち続けた時間」が表れています。
先日、私は幼稚園でこんな話を聞きました。「一人目の子育ては大変だった。何もわからないので育児書を読み、ネットで検索しては、完璧にやろうとして、できない自分に苦しんだ。もうどうしようもなくなって、待つしかないと心を決めたら、なんだか不思議にホッとした」。核家族にあって、子育てをする親の孤立が深まっています。
白旗さんにとって「寄り添う」ということは、多分すぐに答えを提供することではなく、むしろ一緒にとまどい、立ち止まり、そして、確かな根拠があるわけではないとしても、なお希望をもって一緒に居続けることなのです。
「キートスの活動は、ルールも規則も何もないところで黙って子どもの声を聞いて、むしろおとなの私が教えられる、やがて子どもも心を開いて変わっていく……。そんな感じで続いてきました。もし最初からルールや規則があって、その器のなかに子どもたちを入れようとしたら多分ここまで続かなかったと思います」と白旗さんは書いています。
本の後半にある、精神科医の石丸昌彦さんと白旗さんの対談を通して、白旗さんの活動の根っこにあるものが明らかになります。「子どもの力ってすごいんだな」と語る白旗さんの感慨は、どのようにして子どもたちに関わっていけるのかと悩む読者を力づけてくれることでしょう。「Kiitos(キートス)」は、フィンランド語で「ありがとう」という意味の言葉です。
大澤秀夫
おおさわ・ひでお=日本キリスト教団隠退教師・鈴蘭幼稚園理事長