冬のような現実社会に、キリストがいてくださる
〈評者〉佐原光児
現代を生きる学生たちにメッセージを届けることは一筋縄でいかない挑戦である。わざわざチャペルに足を運び、小難しい話を聞かされると感じる学生もいるだろう。それこそタイパ(費やす時間に対する効率性や満足度を重視するタイムパフォーマンスの略語)を重んじる学生にとって、単位に関係なく一定時間チャペルに拘束されることは苦行の域に近い。しかし、そうした大学生がいざチャペルアワーに参加すると、全身を包むように響く奏楽やそこで語られる言葉、ゆっくり自分と向き合う時間と空間が新鮮に感じるらしい。情報が次々とスワイプされて消去される時代だからこそ、自分や世界に向き合うチャペルアワーは大きな可能性を秘めたチャレンジなのだ。
本書には同志社大学で長く教員・チャプレンとして勤めた著者の、おもに大学礼拝でのメッセージが収められている。チャペルアワーで何を主眼に置いて話すかは、話者の個性や関心ごとに大きく左右される。著者は、人間の「罪」について語ることが増えたと言う。このことを知った時、強い興味と同時に不安も覚えた。それは聴衆の罪だけを強調し、高みから服従を強いるメッセージを懸念したからであるが、一つひとつを読んでいくと、実に教育的なアプローチであると感心させられた。
著者は、「罪」について「人間の持っている様々な悪徳であり、怒り、憎しみ、欲望、嫉妬、傲慢、争い、破滅を生み出すものです。人間のもつ弱さや限界と言えるかも知れません」(九一頁)と提示し、「キリスト教において、罪を語らずに人間について語ることができるのか、信仰・希望・愛を説くことはできるのか」(二二四頁)と問いかける。確かに、現代社会は人間の弱さや醜さ、恐ろしさと向き合おうとはしない。その傍らで、倫理的テーマは軽く扱われ、人権や尊厳、共生といった理念は蔑ろにされている。
著者は、キリスト教が本来人間の弱さや限界の問題に正面から取り組んできた自負を持って、罪について語る。そして、実に多様で、また身近な題材や体験と共に、社会の重要課題について話を進めていく。例えば、戦争で人を殺す仕事を強いられた兵士の心理、民族間に横たわる排外主義や差別、神の領域に踏み込んだ感のある核技術や生命倫理の問題などである。それに加え、「コピペとキリスト」や「大学生の三人に一人が抱えているヒミツ」といった、思わずそのページを開きたくなるタイトルも読者の関心を引くだろう。
なにより、本書で罪について語られる時、著者は自身の弱さや過去の脆かった体験を隠さない。だから大学生は安心して自らの体験と照らし合わせて課題と向き合うことができるようになっている。自己認識や倫理的な課題に伴う心配や不安、扱う問題は深刻であるのに、そうした大きなテーマを冷静に見渡す視野へと導かれていく。そして、「弱さを抱えながら、それでも生きていこう」と背中を押される温かみを感じるからとても不思議だ。
書籍タイトルの通り、厳しく凍える冬のような現実社会の中にこそ、キリストが伴走してくださることを告げるメッセージである。大学チャプレンとして務めるわたしにとっても示唆に富む書籍で、キリスト教教育に携わる方にもお薦めしたい。













