
皆川達夫セレクション『宗教音楽の手引き』
・皆川達夫:著
・樋口隆一:監修
・日本キリスト教団出版局
・2024年4月19日刊
・四六判128頁
・1,540円
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皆川達夫セレクション『ルネサンス古楽の記譜法――白符計量記譜法入門』
・皆川達夫:著
・樋口隆一・宮崎晴代:監修
・日本キリスト教団出版局
・2024年8月23日刊
・B5判64頁
・3,080円
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皆川達夫セレクション『音楽も人を救うことができる』
・皆川達夫:著
・樋口隆一:編
・日本キリスト教団出版局
・2024年10月25日刊
・A5判256頁
・3,960円
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皆川達夫先生が九二歳で帰天されたのは、二〇二〇年四月十九日のことだった。三月二十九日に、三十二年間続けられてきたNHKラジオ第一放送「音楽の泉」の最終回を、バッハのガヴォットとともに「ごきげんよう、さようなら」と締めくくられたばかりのことだった。
皆川先生はそれ以前にも、一九六五年~八五年の二十年間、服部幸三先生とお二人でNHK・FMの人気番組だった「バロック音楽の楽しみ」を担当されている。これらの番組を通じて、バロック音楽のみならず、中世・ルネサンス音楽の楽しみが、日本の音楽ファンに伝えられたと言っても過言ではない。
先生の帰天から二年を経た二〇二二年四月、多数の資料が「皆川達夫コレクション」として、明治学院大学図書館付属遠山一行記念日本近代音楽館に寄贈された。するとある日、音楽司書からメールが届いた。樋口に見て欲しいというご指示があるという。そこである日、それらの資料を拝見すると、先生のライフワークとなったキリシタン音楽関係の資料のほかに、晩年の先生が新聞や雑誌に寄稿された記事のコピーが、多数のファイルに整理されたものがあった。拝読するとそれぞれに意義深く、興味深いものばかりだった。
晩年の先生は、NHKの放送と並行してライフワークとなった『洋楽渡来考――キリシタン音楽の栄光と挫折』(日本キリスト教団出版局、二〇〇四年)をはじめとするキリシタン音楽関係の浩瀚な書物の執筆と出版に没頭しておられたので、これらの記事を単行本化される余裕はなかったに違いない。そこで、『洋楽渡来考』をはじめとする先生の著作の編集をしてこられた日本キリスト教団出版局の井関頌司さん、秦一紀さんに相談した。井関さんはすでにリタイヤされていたので、刊行に向けて秦さんとの二人三脚が始まった。
まず私なりの視点で遺稿を編集してみたが、かなりの分量となり、大部の遺稿集は高価とならざるをえず、計画は難航した。すると秦さんが妙案を考えてくれた。
読者の対象が微妙に異なる三分冊とし、《皆川達夫セレクション》全三巻として世に問おうというのである。こうして第一巻は、一般の読者を対象にキリスト教音楽の歴史とそのジャンルを楽しく紹介する『宗教音楽の手引き』、第二巻は、ルネサンスのポリフォニー音楽を理解するための基礎的な
知識をわかりやすく説明した『ルネサンス古楽の記譜法白符計量記譜法入門』、第三巻は、第一級の音楽史家だった皆川先生ならではのルネサンスやバロックの音楽、キリシタン音楽に関する珠玉のエッセイを軸に、さらにミステリーからワインまで幅広い『音楽も人を救うことができる』という、《皆川達夫セレクション》のラインナップが完成した。
出版局が危惧したのはもちろん第二巻『ルネサンス古楽の記譜法』だった。しかし指揮者でもある私にはまったく危惧はなかった。全日本合唱コンクールの審査をした経験から、中学高校から大学・一般に至る全国の合唱団の多くが、ルネサンスの合唱曲を喜んで、しかも高い水準で歌うことを知っているからである。実はこうした状況は、長年にわたり全日本合唱連盟を通じてルネサンスの合唱音楽を全国に普及された皆川先生のご努力の成果なのである。
同書が出版される直前の本年の夏、上野の国立西洋美術館では「内藤コレクション写本――いとも優雅なる中世の小宇宙」という特別展が開催された。行ってみると、平日の午前だというのにかなりの来館者があり、熱心に中世音楽の写本を覗き込んでいる。その対象は美しい細密画だが、もし多少とも中世ルネサンスの楽譜についての知識があれば、そこに書かれている聖歌のメロディーを辿ることができ、それらの写本の本当のメッセージを体感できる。「こんな楽譜が読めたら良いのに」という声が聞こえてくるようだった。
私の合唱団は明治学院バッハ・アカデミー合唱団といい、主としてバッハ以降、つまりバロックから現代に至る合唱曲を歌っているが、この本を見せたところ、たちどころに多数の注文が集まった。類書がないだけに、合唱人にとってこの本は宝物なのである。もちろん分厚い専門書はあるが、原理原則だけをわかりやすく説明してくれるのは、さすが皆川先生の独壇場なのである。驚いたことに、この本は楽譜店だけではなく、一般の大型書店からも多数の注文がある。
第三巻の書名『音楽も人を救うことができる』は、第Ⅳ章「音楽と人生」に収められた短いエッセイの題名によっている。朝日新聞夕刊の「自分と出会う」という欄のために書かれたこのエッセイで、著者は人生を回顧する。戦争末期に青春を迎えた彼は、当時の国粋主義に反発し、人を殺すのではなく「生かすことができる」という理由で医学の道を選んだ。しかし戦争は終わり、生きながらえることができた「わたくし」は、「一度死んだはずだから、念願の音楽史研究の道を選ぶことにした」という。ある先輩から「医学は人を救うことができるが、音楽は救えない。医者になれ」と忠告されたが、「わたくし」の心中には「音楽も人を救うことが出来る」という思いが鳴り響いていたという。
皆川先生の人生と研究は、この強い思いによって貫かれていた。隠れキリシタンの「オラショ(祈り)」との出会いからキリシタン音楽研究にのめり込まれたのも、かれらが「オラショ」を歌うことによって生きる力を持ち続けられたからだという強い信念がおありだったからだろう。
最後のエピソードはさらに感動的である。ある女子大で講義を終えた「わたくし」のところに、ひとりの女子学生がやってきた。「先生、私がこの世に生まれて今日あるのは、先生のおかげです」。その学生の母親は、彼女を胎内に宿しながら、ベッドから起き上がることも出来ないほど苦しんでいた。唯一の楽しみは、FMから流れる「バロック音楽の楽しみ」を聴くことで、「この世にこんな美しい音楽があるのだから、私もがんばろう」と決心し、無事その学生を産むことが出来たというのである。そのとき「わたくし」は、「音楽も人を救うことが出来る」ことを実感できたのである。
皆川先生は九二歳に至るまで、NHKラジオ第一の「音楽の泉」の解説を続けられた。それも最後はNHKのスタッフが老人ホームにまで機材を持ち込み収録したという。そんな異例の対応をうながされた原動力は、この確信と使命感にあったのである。
このまずしい紹介文を終えるにあたり、第三巻の各章について簡単に紹介したい。
第Ⅰ章「キリスト教と音楽」は、「グレゴリオ聖歌との出会い わたくしたちに平和をお与えください」で始まる。ここでも先生の音楽研究が、カトリックの信仰と音楽への愛に基づき、つまるところ「平和への祈り」へと帰結することに感動させられる。
貴重なのは、章の最後を飾る服部幸三、延原武春両氏との鼎談「ヘンデル劇音楽作曲家の光と影」である。各氏の該博な知識はいうまでもないが、巧みな語り口から、ヘンデル音楽の素晴らしさと本質を教えられる。
第Ⅱ章「合唱音楽の楽しみ」では、二六歳でみずから中世音楽合唱団を創立され、七十余年にも及ぶ活動を通じて、研究と実践を結びつけられたこと。さらには、全日本合唱連盟を通じて、日本全国の合唱活動に多大な影響を与えられたことの意義が自ずと理解できる。
第Ⅲ章「キリシタン音楽研究」は、先生のライフワークとなった主著『洋楽渡来考』の成立と意義を、様々な観点からわからせてくれるエッセイや講演、鼎談からなっている。『洋楽渡来考』は博士論文でもあったため難解なところも少なくないが、これらの小文は、そのエッセンスを理解するために大いに力となるものばかりである。
第Ⅳ章「音楽と人生」についてはすでに論じたが、ミステリーや漢詩、ペルシャ絨毯、ワインに美食といった幅広い皆川ワールドを知る上でまたとないものとなった。大いにお楽しみ頂きたい。