1989年に、20歳だった筆者は、しきりに井筒俊彦の著作を読み返した。特に『コスモスとアンチコスモス』(岩波書店、1989年初版)を好んで読み深めた。初版から30年の歳月を経た同著は2019年になると岩波文庫版として新たに刊行されたので、50歳だった筆者はすかさず本屋で飛びつくように購入した。常にカバンにしのばせて持ち歩いており、いまでも出張の際の飛行機の待ち時間などにラウンジで丁寧に味わって読み続ける。
総計36年目に突入しても、いまだに輝きを放つ本に出合えたということは著者の井筒氏との紙面上の交流が続いていることの証左である。井筒氏の思索の魅力は対立する項目を調停する絶妙な手立てを示すことにある。『コスモスとアンチコスモス』という表題からして、調和と非調和とをつつみこむ場の考察を読者にうながす。その思考法は同著の最後尾を飾る「禅的意識のフィールド構造」という論考の内容にも顕著に表明されている。この現実世界と仏の悟りの充実した空とを調停する場がひらけてくる気高いひとときを活写する思索の言語化の奇跡。まるで輝ける暗闇のように底知れぬ真実が顕れる。
さて、現代世界は格差問題のオンパレード。経済格差、性別格差、身分格差、権力格差、国家間格差、軍事格差、その他、数え挙げたらきりがない。しかも家族も職場も修復不可能な感情のもつれで決裂の現場と化す。そうなると私たちは解決不能の難問の泥沼に沈み込むだけで、為すすべもなくもがくのみ。救いようがない。対立する項目を調停することに人生を賭けた井筒氏の情熱を見直すことが、まさに一縷の希望のいのち綱。
筆者は「人見知り」という決定的な限界をかかえるがゆえに、対立する項目を調停する方法を無意識のうちに探し求める毎日を積み重ねてきた。それで井筒氏の思索の魅力に同調できた。本能的に真実の端緒をつかんだことだけは不幸中の幸い。
(あべ・なかまろ=日本カトリック神学院教授)