近年、動物とは何か、動物にどのように配慮するのかを、哲学やキリスト教思想の視点から考える試みをしている。子どもの頃から飼える限りのあらゆる動物に囲まれ、愛読書は「ドリトル先生物語」だった。動物にかかわる仕事がしたいと思っていたが、その夢はかなわなかった。今は形は変われど、動物というテーマに日々頭を悩ませている。きっかけとなったのは、神学者スタンリー・ハワーワスやジョン・B・カブJr.などが寄稿した論文集『動物のための福音か?(Good News for Animals?)』を読んだことだったと記憶している。救いの出来事は、人間のみならず、動物を含めた被造物にも及ぶという考え方は、当時の私には新鮮な驚きだった。
本との出会いとともに、実際の動物との出会いもあった。私宅には、一代目の元外猫が逝った後、思わぬ形でやってきた二匹の姉妹と思しき元外猫が暮らしている。急に冷え込んできた秋の日、外で暮らす猫たちの世話をしている顔見知りのボランティアの方と、スーパーマーケットで遭遇した。よく見かけていた姉妹猫のうち一匹が病気になり、保護していると言う。行き場所がなく、快方に向かえば元の居場所に戻すしかない状況だった。思わず、「リリースしないでください。うちで面倒を見ます」と言った結果、彼女らが家にやってくる運びとなったのだ。
二匹とも十歳以上、猫エイズ(FIV)陽性で、日和見感染などへの対応が必要となった。思った以上に費用もかさむ。「ルカによる福音書」で善いサマリア人が言う、「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」との言葉が、いかに法外であるかを悟った。動物の隣人となる道はけわしい。
最近、一匹は悪性腫瘍の診断を受けた。懸命に生きる命と向き合い、多くのことを教えられ、共に過ごせる残り少ない日々を思う毎日である。
(きとう・ようこ=同志社大学文学部哲学科准教授)
鬼頭葉子
きとう・ようこ=同志社大学文学部哲学科准教授