著者の名前は知っていた。父の神学校時代のアルバムに「運動会で綱引きをする井上先生」との書き込みで写真が貼ってあった。その神学校に自分が行くときに教会の牧師夫妻から贈られたこの本が、本棚の最初の書物となった。
父ブルームハルトにとって「いやし」とは戦いであり神の国のしるしだ。教会員に憑いていた悪霊が「イエスは勝利者だ!」と叫びながら消えていくところは、ホラー映画の場面を思わせるが、序章に過ぎない。
子ブルームハルトは、亡父の後継を期待し賞賛する人たちに囲まれながら、これはキリスト教的な肉の思いだ、と怒り、「死ね、さらばイエスは生き給う」との標語を掲げる。その彼を訪ねて師事した人たちの中に、若きバルトとトゥルンアイゼンがいた。
この本は、ドイツにいた牧師二代の評伝であり、バルト神学の入門書でもある。
寮の読書会でこれを読み終えて興奮した私たちは、著者に会いに行こうと気炎をあげて井の頭公園近くのお宅に押しかけた。ブルームハルトの気配もなく、綱引きなど挑みそうにもない、ジャコメッティの彫刻風の細身の先生だった。伝説の人を前にして、みな緊張してしまい、いまの神学校への思いなど聞き出せるはずもなく、当たり障りのない話ばかりで座は全く盛り上がらなかった。
困っているところに助け舟を出すように「うちでも読書会をしているのですよ。ドイツ語ですが」とおっしゃる。「どんな人が集まりますか」。「牧師とか、主婦とか、学校の先生とか」。「来てもいいですか」。「ええ」。それで来てみたら、ただならぬ方々の集まりではないか。まいったな。そういう
わけで、このときから手ほどきを受けてバルトを読み始めることとなった。
(ささき・じゅん=日本基督教団武蔵野教会牧師)
佐々木潤
ささき・じゅん=日本基督教団武蔵野教会牧師