小さいころから、本を読むことだけが好きだった。でも、いつも新しい本を読みたくて、繰り返し読んだ本は多くない。
苦しかった中高生のとき、幾度も読んだのは、中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』。自死した友を悼む短いエッセイ「浪々の身3」が特に好きだった。18歳のすがすがしい少年のままでいる友に向けて、中年になった著者が言う。ゴミみたいな日々でも、本当にたまにだけど「生きていてよかった」と思う夜がある。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」。
十代後半に出会ったのが大江健三郎。最初に読んだ『洪水はわが魂に及び』があまりに面白く、長編を中心に読み漁った。大江の主人公は、みんな小説を読みながら生きている。自分もそうやって生きたいと願った。今も読み返すのは『人生の親戚』。苦しみの中、特異なカトリック作家フラナリー・オコナーを読みながら生きていく主人公が忘れられない。
もちろんキリスト教書もたくさん読んできた。中でも繰り返し読んできたのは……。自分が編集者として関わった本を除くなら、まずは加藤常昭『ハイデルベルク信仰問答講話』。教理の言葉に血が通い、生活者の言葉になっている名著だと思う。折に触れてページを開いている。同じ理由で同著者の『雪ノ下カテキズム講話』も愛読してきた。さらに同じ理由でコリン・ガントン『説教によるキリスト教教理』も大好き。
そしてヘンリ・ナウエン。彼の本は全部大好き。中でも『愛されている者の生活』は日本語で読み、英語で読み、一人で読み、神学生と一緒に読み……何回読んできただろう。本書でナウエンは人生を4つの受動態で捉える。Taken(取り上げられる)、Blessed(祝福される)、Broken(裂かれる)、Given(与えられる)。これは聖餐の際、司式者が行う4つの動作だ。私は聖餐のパン。苦しむとき、私は神に「裂かれ」ていて、その後には私が隣人に「与えられる」派遣の時が待っている。
(どい・けんいち=日本基督教団目白町教会牧師、編集者)
土肥研一
どい・けんいち=日本基督教団目白町教会牧師、編集者