その本は、あかがね色をしています。
今から三十年以上前、私は交換留学生としてオーストラリアに住んでいました。隣家は数キロ先、牛、羊、馬が優雅に佇み、牧草が風にそよぐなだらかな丘に囲まれた生活の寂しさに心が折れました。言語コミュニケーションも想像以上に困難で留学生活の現実は虚でした。そこへ一冊の本が届きました。中学校のクラス担任が「時間があったら本を読みなさい」とメモを入れ、ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』(上田真而子、佐藤真理子訳 岩波書店 1982年)を送ってくれたのです。
寂寥の闇中、私は一晩でこの本を読みました。表紙があかがね色の本は物語中にも出てきます。本が開かれ冒険が始まった途端、読者自身が物語中の一人かもしれない不思議さに魅了されます。「今、私が経験していることも物語の一部で、誰かが今これを読んでいるのかもしれない」と想像力が膨らみます。読み終える頃には「目の前に現れる新しい友人たちとのたどたどしい会話も物語の大切なエッセンスかも。何かを成し遂げることより過程が大切だ」と思い、本を閉じても物語が続いている感覚になるのです。「本当の物語は、みんなそれぞれにはてしない物語なんだよ」(エンデ)。
帰国後に知ったことです。恩師は私が悩んでいるだろうと想像し、この本を差し入れてくれたそうです。彼の優しい思いが私の身体をそっと覆ってくれる経験が私の人生にとってはかけがえのないものになり、その後、私は教師を志望しました。
本を書く人、本を売る人、本を読む人、そして本を贈る人。本をめぐり生きる人々は出会い、別れ、新しい物語を紡ぎます。「みんなそれぞれにはてしない物語」。
聖書は物語の宝箱です。まだまだ語られていないことがあるようです。続きはまた今度お話しする機会がありますように。なにせ、物語ははてしないのですから。
(わたなべ・さゆり=日本バプテスト同盟駒込平和教会牧師)
渡邊さゆり
わたなべ・さゆり=日本バプテスト同盟駒込平和教会牧師